背番号55。日本の野球人にとって、大いなる頂を表す番号。王貞治がシーズン55本塁打を放った64年以降、王超えを目標に松井秀喜ら多くのスラッガーが、この畏敬の数字を背負ってきた。村上宗隆も、またその1人だった。村上が記録を更新すれば、また新たな数字が頂点の象徴となるかもしれない。背番号55を担った男たちの物語に、1つの節目が刻まれた。

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「背番号55」といえば、この人を思い出す人も多いだろう。ソフトバンク大道典良3軍打撃コーチ(52)だ。南海でプロ入りした88年から、ソフトバンクでの06年まで19年間、NPBでは史上最も長く背番号55でプレーした。入団当初は「球団からもらって、あんまりピンとこなかった。どちらかというと、2軍の選手の番号というイメージ」と苦笑いで振り返る。

それでも「覚えてもらいやすい。つけているうちに愛着が湧いた」と「55」を自分のものにした。1軍定着後も「変えようと思ったことはなかった。ぼくの後援会が『ゴーゴー大道会』っていうのもあったんでね(笑い)。55番にかけてね」。応援してくれる人たちの思いとともに「55」を背負い続けた。

「55」にまつわる、忘れられない思い出がある。93年の日米野球で、ダイエー巨人連合チームとして、来日したドジャースと対戦した。レジェンド投手だったハーシュハイザーと、同じ背番号のユニホームを交換した。「その後でテレビ番組の『なんでも鑑定団』で見てもらったんです。30万円の値段がついたんですよ」と、懐かしそうに目を細めた。【山本大地】

◆大道典良(おおみち・のりよし)1969年(昭44)10月28日生まれ、三重県出身。明野高から87年ドラフト4位で南海入団。01、03年球宴出場。06年オフにトレードで巨人移籍。10年現役引退。13年からソフトバンクでコーチを務め、現在は3軍打撃コーチ。185センチ、101キロ。右投げ右打ち。