新日本プロレスの人気は、日本から世界へと広がり続ける。その飛躍を進めてきたプロ経営者のハロルド・メイ社長(56)に今後のプランや、現在頭を悩ませる新型コロナウイルス感染拡大への対応について聞いた。

新日本プロレスの未来を熱く語る、ハロルド・メイ社長
新日本プロレスの未来を熱く語る、ハロルド・メイ社長

自らを“百戦錬磨”と称するメイ社長でさえ、今回の新型コロナウイルス対応に関しては「かじ取りが難しい」と嘆く。イベント自粛の波が広がる中で、新日本は3月1日から15日までの11大会を中止。再開の見通しが立たない9日現在、「再開する、しない両方のプランを考えている」と明かす。米国で興行する案も計画したが、実現は難しく頓挫した。

ただ、次の行動を起こすのは早かった。中止決定と同時に、ファンのための新サービス「新日本Togetherプロジェクト」を立ち上げた。「すぐに選手、社員、スポンサー、関係各所に説明して、4日に(企画を)スタートできた。社内の団結があったからこそです」。メイ社長は日々、1フロアの社内を違うルートでまわり、社員と会話することを欠かさない。四半期ごとの社の報告会議には選手の一部も出席する。社員全員が経営状況を把握し、一丸となって前に進む環境があったからこそ、今回もスムーズに事は進んだ。第一弾の内藤哲也、高橋ヒロム無観客トークショーは、国内のツイッタートレンド最高6位になるなど注目を集めた。

この未曽有の事態でも「まだまだやることがある」と信念は揺るがない。18年6月に社長に就任してから約1年9カ月。その間、力を入れ、成果を出してきたのが海外展開の拡大とブランド力アップだ。海外進出を進める理由は「日本の市場、人口が間違いなく減る」から。外に出なければ経営は傾くだけで「必要だからです」。今は米国、欧州で土台固めをし、その先にアジア進出を見据える。

世界に通用する確信もあった。「言葉、文化、男女、年齢の壁。すべて乗り越えられるのが、プロレス。ルールも単純明快。極端にいえば、2000年前のローマ帝国でもやっている」。英語での動画配信や情報を充実させると、狙い通り、ファンは世界中に拡大。今年1月4、5日の史上初の東京ドーム2連戦の7万人の観衆のうち、約2割が外国人だった。さらに、初日の4日はツイッターの世界トレンドの首位を約6時間独占。「世界でこんなこと誰ができます? できないですよ。誇りに思います」。ドーム2連戦の成功は、大きな自信となった。

選手のマスコット人形を肩に付けて、笑顔でポーズをとる新日本プロレスのメイ社長
選手のマスコット人形を肩に付けて、笑顔でポーズをとる新日本プロレスのメイ社長

一方で、国内での価値向上にも努力は続く。メイ社長は昨年末に出版した著書でこう記している。「プロレス業界で働くようになってから、世の中にはプロレスを少し見下していたり、偏見や誤解をしている人がまだまだ結構いるのだなと思うようになりました」。負のイメージを払拭(ふっしょく)するために選手、スタッフとともに取り組んだのがリング外での露出だ。

選手がテレビ、映画など他媒体に出るのはもちろん、社長自身も経済誌やNHKのドキュメンタリー番組の取材を受けるなど、プロレスに触れるきっかけを増やすことに努めた。「どのドアから入っても好きになれる。そのドアを増やしていくイメージです」。その成果もあり、最近は三越伊勢丹、アンダーアーマーなど有名企業とのコラボレーションが続く。「今まで以上に、新日本が認められ始めている証し。あらゆる分野でもっと広げていきたい」と攻勢を続ける。

日本で暮らした幼少期、言葉が分からない中でも楽しめるプロレスに助けられた経験がある。だからこそ、「残るキャリアを新日本にささげる」と思いは強い。今、特に力を入れるのがIP(知的財産)ビジネスだ。選手や試合のコンテンツをいかに他の収益に変えていくか。「出版、ゲーム、テレビ放映権…。未知の新しいビジネスもあるかもしれない」とアイデアは尽きない。【高場泉穂】

◆ハロルド・ジョージ・メイ 1963年12月4日、オランダ出身。8歳から13歳まで日本で過ごす。ニューヨーク大大学院修了。87年にハイネケンジャパンに入社。数社を経て、06年に日本コカ・コーラの副社長、14年にタカラトミーの社長に就任。赤字経営を立て直し、V字回復に導き17年退社。18年6月に新日本プロレス社長に就任。19年12月に初の著書「百戦錬磨 セルリアンブルーのプロ経営者」を出版。