プロレス界の輝く女性たちを紹介するコーナー9回目は、女子プロレス界のレジェンド長与千種が主宰するマーベラスのエース彩羽匠(27)。恵まれた体とパワーを生かし、最近は他団体のマットでも活躍。女子プロレス界のさらなる活性化とともに、「脱・長与」を目指す。
彩羽はその日、古巣の興行を見事に食った。今年2月8日、女子プロレススターダム後楽園ホール大会。メインでワールド・オブ・スターダム王者岩谷麻優が、WWEへの移籍が決まっていたディアナのエースSareeeの挑戦を受ける予定だったが、前日7日にSareeeが発熱。彩羽に代役の話が舞い込んだ。
「本当はチケットを買っていて、客席で見る予定だったんですよ。でも前日夜に長与さんから『お前明日参戦だ。リングに立つんだよ』と電話がかかってきて…」。とまどいながらの参戦だったが、そのチャンスをものにした。メインに急きょ組まれた岩谷との2年ぶりのシングルは満員の会場を爆発させた。170センチの恵まれた体から繰り出す力強いキック、投げ技で細身の岩谷を容赦なく攻め立てる。鈍い蹴り音が響く度にどよめきが起こる。最後は師匠長与から伝授されたランニングスリーで3カウントを奪取。試合後には、オーナー企業がついて勢いにのるスターダムに対し、「引きずり下ろす団体がいても面白くないですか?」と団体抗争まで持ちかけ、存在感を存分に見せつけた。
長与千種というプロレスラーと出会い、人生が変わった。世代は違う。高校生の時、たまたまYouTubeで北斗晶対神取忍(93年4月2日、横浜アリーナ)の試合を観戦したことがプロレスにはまるきっかけとなった。すぐに、興味を持った神取忍の自伝をネットオークションで落札。読むと、そこには尊敬できる相手として長与の名前が記されていた。最初に見た長与の試合は伝説の髪切りマッチ(85年8月28日、大阪城ホール)だった。
「何度もお客さんの顔が映ったんですよ。泣いてる顔。喜んでる顔。心配している顔…。なんでこんなに流血してまで戦うんだろうという疑問を持ちながら見ていたんですが、お客さんが悲鳴をあげているのを見たとき、この人たちも戦っているし、選手はこの人たちのために戦っているのかなと感じて。人からこれだけ支持されるのって、すごいかっこいい。そうなりたい、と思いました」。
当時は剣道に打ち込み、競技での大学推薦も決まっていたが、プロレスラーになりたい気持ちは膨らむばかり。家族に反対され、1度は大学進学するが、入学してすぐにSNSの「ミクシィ」を通じて長与にメッセージを送った。すぐに返信があり、東京に会いにいった。「長与さんには、大学卒業まで待てと言ってもらったんですが会ったことで心が止まらなくなりました」。後日、部活の休みの日に再びプロレスを見るために上京。その時見たスターダムに入団することを即決した。
13年に女子としては異例の両国国技館デビューを果たしたが、2年後に長与がマーベラスの旗揚げを発表。心が動いた。育ててくれたスターダムへの恩義もあり、引き留めもあったが「自分に正直になろう」と退団を決意。長与に「長与さんのもとでもう1度プロレスを学びたいです」と申し出て、移籍が決まった。
長与には文字通り、一からたたき直された。2人きりの寮生活。まず、教えられたのは立ち方だった。「まず『リングに立て、ここにお客さんがいると思え』と言われて。すぐ『お前、指先、足先まで神経入ってんの?』と怒られました。『髪の1本1本も全部武器』『眼球の動きさえも怠るな』とか。今でも覚えています」。どうやって見ている人を引きつけるか。その意識改革に特化した練習が2週間ほど続くと、今度は増量。1食パスタ6人分など長与が作る大量の食事を数時間かけて腹におさめ、数カ月で63キロから10キロの増量に成功した。
厳しい指導を受け止め、彩羽は日本の女子プロレス界トップの1人となった。昨年12月には長与から団体代表の座を譲り受け、いまはマッチメークや経営に苦心する。今の目標は「脱・長与」だ。「長与さんの名前が強すぎる。自分がいい時も悪い時も「長与の~」と言われる。あれだけ強烈な存在を上回らないと、その冠は取れない。簡単ではないけど、自分をもっと世間に売り出して、どうにかして、自分たちの力でお客さんをいっぱいにしたい」。選手兼代表として、勉強の日々が続く。
◆彩羽匠(いろは・たくみ)1993年(平5)1月4日、福岡市生まれ。12年にスターダムに入団し、13年2月、両国国技館大会でデビュー。15年2月に長与が旗揚げしたマーベラスへ移籍。19年12月から、長与に代わりマーベラス代表となる。170センチ、74キロ。得意技ランニングスリー。