ここ数年は年末集中開催で、新年は静かなボクシング界となっている。そんなところへ海外から訃報が伝えられた。元世界フライ級王者チャチャイ・チオノイ氏が、21日にタイ・バンコクの病院で亡くなった。75歳だった。ここ数年パーキンソン病で闘病生活を送っていた。

 キックボクシングのムエタイから、14歳で国際式でプロデビュー。19歳の61年から日本のリングに何度も上がった。定評のある記録サイトではプロ戦績は61勝(36KO)18敗3分。通算82戦というのもすごいが、20試合が日本人相手だった。

 関光徳、海老原博幸らに敗れたが「稲妻小僧」と呼ばれた。68年にビラカンポ(フィリピン)からWBC王座を獲得した。初防衛には失敗も、70年には王座返り咲き。この時も初防衛に失敗した。

 3年後に日本で歴史に残る一戦を演じた。73年1月、3度目の王座を狙ってWBA王者大場政夫に挑んだ。初回に右のロングフックでダウンを奪った。大場はふらつき、足がガクガクしていた。実は右足首を捻挫していた。

 大場はピンチを脱出すると、インターバルで足を冷やしながらの戦い。足を引きずりながらも強気の攻めに、中盤からはチャチャイが劣勢に。12回にダウンを奪い返され、1度は立ち上がるも連打にまたダウン。再度立ち上がったがコーナーに吹っ飛ばされ、12回KOで逆転負けとなった。

 当時のプロスポーツと言えば野球、あとは相撲、ゴルフにボクシング程度だった。世界戦は時々テレビで見た。中でもこの大場とチャチャイの試合は、高校生だったが強く記憶に残る。違うスポーツをやっていたが、あれから世界戦は必ず見るようになった。ボクシング記者になるきっかけだったのかもしれない。

 日本のリング史を飾る死闘の1つ。大場の切れよくスピードある連打は今はあまり見られない。記者となって詳細を知り、伝説的試合と分かった。それはV5を果たした大場が、3週間後に交通事故で亡くなったことがある。永遠のチャンプと呼ばれる。

 チャチャイは次の試合で空位の王座を獲得し、2度目の王座返り咲きを果たした。3度目の防衛戦は花形進と対戦も体重オーバーで王座剥奪となった。試合も6回TKO負け。逆に花形は日本最多の5度目の挑戦で世界王座奪取となった。チャチャイはこの2戦後に敗れて引退した。昭和の日本ボクシングを盛り上げた1人だった。【河合香】