1月の現役引退から10カ月、久々にかいだ後楽園ホールの匂いに、緊張感と責任感が自然と芽生えたという。元日本スーパーバンタム級王者石本康隆さん(36)が11月22日、ボクシングの「聖地」に戻ってきた。手に持っていたのは、グローブではなくタオル。この日がトレーナーとしての「デビュー戦」だった。

リングの下から、初めての教え子たちの奮闘を見守った。「ナイスジャブ!」。その指示の声は大きすぎて、関係者にたしなめられる場面もあったが、指導半年の2人の弟子たち、デビュー戦だった小林柾貴(19)と、プロ5戦目だった山田大(28)は両者ともフルマークの判定勝ちを飾った。

春先、名門帝拳ジムで魂こもるファイトを続け、世界戦まであと1歩に迫った努力の男は、新たなステージに身を移した。「やっぱり、ボクシングに携わる仕事がしたくて」と知人を介して紹介された元東洋太平洋フェザー級王者今岡武雄さんが会長を務めるイマオカジムでトレーナーとなった。

プロ2選手を教えながら、一般会員の練習も担当。昼の12時から夜の12時まで、腕にはめたミットに何百発というパンチを受けながら、少しでも向上してほしいと試行錯誤。「言われたこと、教わったことの良い部分は伝えて、自分ではうまくいかなかったことはさせない」。

帝拳ジムでは、数多くの世界王者を担当してきた田中繊大トレーナーが長くパートナーだった。「いまだからですね、よく『選手をやる気にさせるのがトレーナーの仕事』と言っていたことが分かる」という。

技術伝授よりも、まずは練習に試合に向き合う気持ちをどう作るか。例えば、練習後にメールを送る。そんなまめな作業も大事にする。かっとなりがちで声が聞こえなくなる小林には「頼むから俺の言うことを聞いてくれ」と懇願しながら、それが押しつけがましくなく、小林自身も師匠を横にニヤッとするのは、石本さんの性格のなせる技だろう。「メールの内容ですか? 『俺の言うことを聞いてくれ』です」と披露すると、2人で苦笑した。

プロでの成績は、31勝(9KO)9敗だった。13年に元世界王者ウィルフレド・バスケス・ジュニアを破り、世界ランクを駆け上がると、14年5月にはIBFスーパーバンタム級挑戦者決定戦へ。敗れはしたがその闘志は消えず、15年に同級日本王座をつかんだ。

ベテランの立場となっても衰えぬ練習量と真摯(しんし)な姿勢に、後輩たちの人望も厚かった。苦労をしたからこそ、教え子が苦境に直面した時も、さしのべる手はあるだろう。

「2人には、ここにまた連れてきてくれて感謝したい。僕を信じてくれて」

殊勝な言葉がまた、その性格を表していた。【阿部健吾】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

現役時代の石本康隆さん(2016年10月1日撮影)
現役時代の石本康隆さん(2016年10月1日撮影)