スポーツ新聞は、オールドメディアと言われることもある。それでも、この媒体がやっぱり面白いと、まだ何かやれることがあると思えるから仕事を続けているのだと思う。12月末、4人のプロレスラーにインタビューし、思わず自分の仕事をプロレスに重ねた。
棚橋弘至、オカダ・カズチカ、内藤哲也、飯伏幸太。今をときめく4人全員が、客が入らない、またはブーイングを浴びる不遇の時代を経験してきた。その中でもプロレスの面白さを変わらず信じ続け、今は新たなプロレスブームをけん引している。「地上波のゴールデンタイムでプロレスを」(飯伏)。「大人が楽しむ文化の一ジャンルにしたい」(棚橋)。いまだに尽きない夢やアイデアに、刺激を受けた。先が行き詰まったようにみえても、続けていたら何か新しいことが見えてくるかもしれないと思えた。プロレス担当となって1カ月。リング内外で熱気と新たな風を感じながら仕事をしている。
この4人へのインタビューのお題は「俺の平成ベスト1・4」。新日本の1月4日東京ドーム大会に向けた連載のためで、92年から続く同大会の中から心に残る試合を選んで語ってもらった。資料として持参したのが、1・4を報じた27年分すべての日刊スポーツの紙面。全員が真剣にそのプリントすべてに目を落とし、うれしそうに思い出を語ってくれた。特に、ファンクラブ会員だったことで知られる内藤選手は「あぁ…」「うーん」などと声を漏らしながら、約5分間熟読。同席した新日本の担当者の方が「インタビューの時間、終わっちゃいますよ」とつっこむほど夢中になって読んでくれた。
手前みそだが、この27年分の紙面は今見ても面白い。その時代の空気感が伝わってくる。例えば1995年(平7)の1面は「高田 武藤を逆十字」。メインでUWFインターナショナルの高田が新日本の武藤に勝利。その他にもアントニオ猪木、長州力、馳浩とそうそうたるメンバーの試合が2、3、裏面と4枚展開で報じられている。また「新春4日ドーム恒久開催決定」の見出しも。そこから数年は大展開が続くが、2000年中盤から一変。観客数の減少と合わせるように、紙面のスペースも減っていく。
08年は、白黒1ページだった。そこには「観客数は2万7000人の過去最低」「2年連続で2階と外野スタンドを開放しない『身の丈サイズに合った興行』(菅林社長)」とある。ぎゅっと情報を押し込めたその1枚にはマイナー感が漂う。その後、12年ごろからフロントの改革と現場の努力によって、新日本プロレスの売り上げはV字回復をとげた。それに沿うように、13年ごろから再びカラーで派手に紙面展開するようになる。そして昨年1月4日の翌日。1面は、メインで内藤に勝利したオカダ。1・4が1面となるのは「小川 健介戦放棄」(小川直也が佐々木健介戦を途中放棄)の02年以来、16年ぶりのことだった。
プロレス担当となった昨年12月。棚橋選手にあいさつすると、「Kさんは元気ですか?」と聞かれた。08年の不遇の時代に担当をしていた記者の名前が真っ先にあがった。これまでと同様、今年も我々は1・4をしっかり報じる予定だ。「1月5日の1、2、3面を空けてますから」と棚橋選手に言うと、「おぉ!」と、大変喜んでいた。
1月2日時点で、チケットの売り上げは昨年の動員数3万4995人を超えているという。時代と寝て、空気を伝えるのがスポーツ新聞の役目。19年1月4日の東京ドームの熱気を、できるだけ伝えられるよう努めたい。【高場泉穂】



