新日本プロレスの飯塚高史(52)が2月21日の後楽園大会をもって引退すると7日、発表された。日刊スポーツでは裸絞めとして表記されるスリーパーホールドが得意技の1つで「魔性のスリーパー」が代名詞。86年11月のデビューから約32年というレスラー人生に区切りをつける。

若手時代に東欧でサンボ修業。関節技のテクニックを身につけており、90年代後半から若手のコーチを務めていた。集客面などで団体運営が苦しくなりつつあった05、06年には選手会長も務めた。ドーム大会が1年に1回、1月4日のみになった頃。苦しい時期に現場のまとめ役を任されたのも選手からの信頼が厚かったからだろうと当時、想像していた。

00年1月の東京ドーム大会では橋本真也のパートナーとしてUFO軍の小川直也、村上和也組と対戦。ここで村上を裸絞めで失神KOに追い込み、以降は「魔性のスリーパー」と呼ばれるようになった。

同7月にはIWGPヘビー級王座(当時王者は佐々木健介)に挑戦し、G1クライマックスにも初出場。この年にはプロレス大賞の技能賞も獲得したが、01年6月の試合中に顔面強打で首などを負傷。その後遺症でめまいと視覚障害に陥って1年半もの欠場を余儀なくされた。このケガがなければ、もう少しシングル戦線でも活躍できたに違いない。

08年のヒール転向後、すぐに髪をそり上げ、反則連発でリング内外で暴れた。CHAOS時代の11年には矢野通と組み、小橋建太、武藤敬司組に敗れたALL TOGETHER(東日本大震災復興支援興行)でのタッグ戦が年間最高試合に選ばれた。時に観客席を徘徊(はいかい)し、時に試合中継するテレビ朝日の野上慎平アナウンサーまで襲撃し、存在感を示した。もう会場を狂乱させる姿が見られないと思うと残念でならない。

正統派時代の89年に長州力、96年には山崎一夫とIWGPタッグを獲得。ヒール転向後も矢野通とのコンビで同王座を再び戴冠した。新日本のタッグリーグにはSGタッグに4回、G1タッグに5回、ワールドタッグに4回と計13回も出場。ノア参戦時にはグローバルタッグリーグにも出場するなどタッグの名手でもあった。

約22年は正統派、最後の約10年はヒール。どちらもタッグ戦線を中心にファイトして王座を奪取し、プロレス大賞の部門賞にも輝いた。そして、発言の少なさも共通。どちらの立ち位置でも愚直にミッションをやり遂げる職人だった。

最後に在籍したユニットがデビュー戦の相手も務めた鈴木みのる(50)率いる鈴木軍だったのも運命的だろう。2月21日の引退興行はヒールで登場するのだろうか。いや正統派、ヒールに関係なく、最後はニュートラルな飯塚高史の姿を見てみたい。

【藤中栄二】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)