アントニオ猪木さんが亡くなった。1日に79歳で、心不全だった。

大病を患い、その闘病中の様子も映像などで見せていた。弱々しい姿を隠すことなく、おそらくその後に復活する元気のいい姿を想定していたのだと思う。実際、再び元気になった姿を映像などを通じて見せてくれていた。その直後の訃報に驚きだが、亡くなる間際まで自己プロデュースにたけた人だったのだと、あらためて思う。

猪木さんとは間接的を除けば、かかわりは多くない。直接的には19年前までさかのぼる。03年の年末。当時は格闘技ブームで、テレビ各局による大みそかの「視聴率バトル」の展開となっていた。

TBS系がK-1、フジテレビ系がPRIDE。その先行2大イベントに勝負を仕掛けたのが猪木氏が手がける日本テレビ系の「猪木祭」だった。

舞台は神戸ウイングスタジアム(現ノエビアスタジアム神戸)で、そのPR活動に密着した。先行する2大格闘イベントにより、とにかく選手集めに大苦戦した。約1週間前の会見で猪木氏は「選手が決まんねーんだもん、なかなか。31日までギリギリの勝負だ」と本音をもらした。リング上での勝負よりも、立たせるまでの“大戦争”が舞台裏で繰り広げられていた。

猪木氏の行動力はさすがだった。PRのために神戸市内中を行脚。当時、最も人が集まるイベント「ルミナリエ」の会場にもゲリラ的に登場。「猪木祭に来てくださーい」と声を張り上げた瞬間、警備員が飛んでくるとそそくさ退散した。

カード決定が、遅々として進まない中、猪木氏は語った。「(神戸に)波を起こしに来たんだ」。イベントの成功へ、他人に頼らず自ら突破口を開こうとした。神戸から波を起こせば何かが起きる。「迷わず行けよ 行けば分かるさ」そのものの生きざまだった。

結果的に「猪木祭」は視聴率争いで惨敗した。その結末がうっすら見えていても、猪木氏は全力で盛り上げるために身を注いだ。

神戸の会場での会見後、夕闇をにらみつけながら一句披露した。「暗雲たれこめ…何にしようかな、朝日が見えず、曙暮らしのボブ・サップ…」。凡人には理解不能な謎の句が、今思えば猪木さんらしく思える。あの世でもきっと「道」を貫くのだろう。合掌。【実藤健一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける」)

猪木祭2003(イノキバンバイエ2003) 恒例のカウントダウン「ダー」をリング上で叫ぶアントニオ猪木さん(中央)(2003年12月31日撮影)
猪木祭2003(イノキバンバイエ2003) 恒例のカウントダウン「ダー」をリング上で叫ぶアントニオ猪木さん(中央)(2003年12月31日撮影)