秋場所で大関豪栄道(30=境川)が初優勝した。4度目のかど番だっただけに、場所前はよもや、優勝争いを演じるとは思っていなかった。大変、失礼いたしました。

 思えば直前の夏巡業では会場の体育館にトレーニング室があると、電気も消えて誰もいないそこに忍び込み? 汗を流す姿を見かけた。体を動かしたくてたまらない、そんな様子だった。本番に向けて静かにひっそりと、爪を研いでいた。

 そんな大関について、部屋付きの関ノ戸親方(元小結岩木山)に話を聞いた。親方は、初めて会って相撲を取ったときの印象を覚えていた。大関がまだ埼玉栄高3年で、本名の「沢井豪太郎」として部屋に稽古に来ていた秋。当時、関取だった親方は、同校相撲部の山田道紀監督に頼まれた。「関取。5番だけ勝負してやってくれませんか」。

 「ドキドキしましたよ。若い衆との相撲を見ていて、強いなと思っていましたから」。とはいえ、稽古を見て、当時の高校横綱の得意が右四つだということは分かっていた。相手に合わせて相撲を取り、両まわしをがちっと引きつけさせても、さすが関取。危なげなく、連続4番を圧倒した。

 すると、山田監督が再びお願いしてきた。「関取。最後だけ、本気を出してくれないですか」。

 「そう言われたので、左からかち上げていったんです」。本気のかち上げ。だが、後の大関はひるまなかった。むしろ、本気の関取との勝負に、自らの闘争本能も引き上げられていた。「前みつ(まわし)を取られて、食い下がられました。しぶとかったなぁ。本気でやったときの方が、いい勝負でした。勝ちましたけどね」。

 その数カ月後の05年初場所で初土俵を踏んだ豪栄道。関ノ戸親方は、そのときも印象に残っていた。

 「雑誌の『相撲』に新弟子のプロフィルが載るんです。そこに目標欄がある。あいつは『横綱』と書いた。結構、珍しいなと思いました」

 実際、当時の雑誌を見てみた。同期生で関取になった者たちの言葉を探すと、隠岐の海の「福岡歩」は「早く十両に上がりたい」。豊響の「門元隆太」は「まずは十両に上がりたい」。栃煌山の「影山雄一郎」も「3年くらいで関取になりたい」だった。

 それだけに親方は「やるからには頂点を目指すという意志が強かった。多くは『関取』と書くもの。『横綱』と書く新弟子は、そんなにいない。大学に進学しなかったのも『同じプロに入るなら、4年間が無駄になる』という考えだと聞いた。すごいなと思った」。

 その目標に初めて挑む九州場所(11月13日初日、福岡国際センター)。「大相撲beyond2020場所」が行われた4日が、両国国技館の本土俵を使う今年最後の日だった。数人での雑談のさなかに出た「次に帰ってくるときは?」。そんな質問にも豪栄道は「リップサービスはせんよ」と苦笑いし、関西人気質はどうしましたかと言われると「この前(大阪府庁を表敬した)大阪に置いてきた」と笑わせた。これもまた、ぶれることのない意志の強さ。周囲の騒がしさとは関係なく、入門時の目標へと向かう。【今村健人】