新日本プロレスのジュニアの象徴、獣神サンダーライガーが7日、20年1月4、5日の東京ドーム大会を最後に現役引退することを発表した。89年4月に覆面レスラーとしてデビュー。100キロ以下のジュニアヘビー級の地位を高め、数々の名勝負を残した。世界的な人気を誇る名レスラーは、平成の30年を華麗に駆け抜けた。 

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涙はなかった。「リングに上がる以上、チャンピオンを目指さなきゃレスラーじゃない」。プロレス人生を支えてきた熱い思いを最後まで燃やした6日のIWGPジュニアヘビー級選手権。史上最多12度目の戴冠を逃したが、自分の戦いを見詰め、ライガーは自分で区切りをつけた。

「あの試合を通して、自分はもう伸びしろがないことが分かった。今まで培ってきたテクニックはいくらでも生かせるけど、伸びしろがないと、試合をやってて感じた。タイトルを取っていても辞めていた」

すがすがしい表情で話した。新日本にとどまらず、他団体、海外と世界中にファンをつくり一時代を築いた。そんな男が今年に入り、限界を感じて会社と引退について話し合ってきた。その中で、新日本から来年1月の東京ドーム大会での引退を提案された。新日本所属のレスラーで、東京ドーム大会で引退試合を行うのは、創始者のアントニオ猪木、長州力(後に復帰)に続き3人目。「東京ドームでデビューして、平成が終わるとともに東京ドームで引退なんて、カッコよくね?」と、笑顔で自慢した。

引退には、自分なりの美学があった。以前、65歳で引退した天龍源一郎に「腹いっぱいやれ」とアドバイスされた。その言葉を胸に刻んできたが、最近考えが変わったという。「まだできるじゃん、ライガーまだできるのにもったいない。天龍さんの腹いっぱいより、そういう風に言われたらかっこいい。ファンに失笑を買ってしまうようなシーン、それだけは絶対嫌なんだ」。「プロレスラーは強くあれ」と言われたアントニオ猪木や、山本小鉄の教えを最後は貫いた。

ライガーは引退後も、寮にとどまるという。今後の役割については言葉を濁したが、寮にいて、若手レスラーの育成を担う可能性が高い。「やり残したことは何もない。こんな幸せなプロレス人生はない」と断言したが、1つだけ希望を口にした。新日本が4月6日に開催する米ニューヨークのマジソン・スクエアガーデン(MSG)大会だ。「MSG出してほしい。引退するんだから、出してよ」。最後まで明るく、引退会見を締めくくった。【桝田朗、高場泉穂】

◆獣神サンダーライガー

▽正体 不明とされているが、本名は山田恵一。1964年(昭39)11月30日、広島市生まれ。藤波辰爾にあこがれ、高校卒業後単身メキシコで修業。そこで出会った山本小鉄に新日本入団を認められる。

▽変身 平成元年の89年4月24日、東京ドーム大会でテレビ朝日系列で放送されたアニメ「獣神ライガー」のタイアップ企画として獣神ライガーに変身。小林邦明戦でデビュー。

▽ジュニアの象徴 IWGPジュニアヘビー級王座を史上最多11回戴冠。ノアのGHCジュニア王座や、米国WCW世界ライトヘビー級王座など、多数のタイトルを獲得。100キロ以下のジュニアの盛り上げに貢献。他団体と新日本の橋渡しをし、94年にはジュニアのオールスター戦「スーパーJカップ」開催を実現した。

▽技の先駆者 シューティングスタープレスや垂直落下式ブレーンバスターなど、現在多くのレスラーが使う技を開発、流行技の発信源となっている。

◆名勝負 数ある名勝負の中で、94年2月24日、日本武道館での橋本真也戦は話題を呼んだ。ライガーがIWGPジュニアヘビー級王者、橋本がIWGPヘビー級王者で、階級を超えたノンタイトル戦。ライガーは敗れたが、ジュニアを超えたパワーを見せつけた。