「浪速のロッキー」と呼ばれた元プロボクサーの俳優赤井英和(61)の長男英五郎(26)が15日、名門・帝拳ジムからプロデビューすることを表明した。アマチュアで目指した東京オリンピック(五輪)出場の可能性が19年に消滅。父が歩んだ道を追うようにプロ転向を決断した。今年の東日本ミドル級新人王にエントリーし、プロデビューする予定。大けがで引退を余儀なくされた父が届かなかった世界王座獲得を将来的な目標に掲げた。

   ◇   ◇   ◇

父譲りの強打を誇る赤井がプロ転向する。アマで目指していた東京五輪の夢が19年11月の全日本選手権で絶たれると、すぐプロ転向への気持ちがわき上がったという。「ボクシングを続けたい気持ちだった。いずれプロになろうと思っていた」。19年に左足アキレス腱(けん)を断裂し、20年2月には左手首の手術を受けたため、昨年は治療に専念。アマ時代から練習で通っていた名門・帝拳ジムを所属先に選択し、満を持して今年からプロボクサーとしての活動を開始する。

父からボクシングの指導を受けたことはないが、自宅に地下トレーニングルームを設置してくれるなどのサポートを受けている。赤井は「父は子供ではなく一個人として見てくれている。プロ転向の反対もなかった」と振り返る。今年の全日本新人王のミドル級にエントリーし、プロデビューする予定。「相手は誰でもいい。新人王を取りにいきたい」と父も獲得した称号を狙う。

「父は20歳でデビューし25歳でプロを引退、自分はアマですが20歳でデビューし25歳でアマを辞めて、重なる部分がある」。父は2度目の世界挑戦を目指した前哨戦でKO負けし、急性硬膜下血腫で重体となって現役引退を余儀なくされた。なし得なかった夢を継ぐように赤井は「ボクシングを始めるからには『世界』と思っていた。世界王者になりたい。プロの自覚を持って帝拳ジムでやりたい」と決意を示した。

プロで最初の目標は父がマークした12連続KO勝利を設定した。赤井は「KO記録は身近な目標としてわかりやすい。13連続KOができたら新しい目標も出てくる。自分は(中量級の名王者)ハグラーやデュランのようなオールドスタイルが好き。倒せるのが1番。ボディーで倒してみたい」と目を輝かせた。ファイタースタイルの強打に磨きをかけ、プロデビュー戦に備える。【藤中栄二】

○…大阪市出身の父赤井英和は、浪速高でボクシングを始め高校総体優勝。近大に進学したが日本がボイコットした80年モスクワ五輪の最終選考で落選。その後、大阪の三和ツダジム(後のグリーンツダジム)からプロ転向した。好戦的なスタイルと強打を武器にデビュー以来12連続KO勝利の快進撃で、“浪速のロッキー”と呼ばれて絶大な人気を誇った。83年にWBC世界スーパーライト級王者ブルース・カリー(米国)に初挑戦して7回TKO負け。再起したが、85年に世界再挑戦のための前哨戦で大和田正春に7回KO負けを喫し、脳出血を起こして意識不明の重体となった。緊急手術を受けて一命を取り留めたものの、引退を余儀なくされた。その後、俳優としてドラマや映画で活躍している。

○…赤井の前妻の次女赤井沙希(34)は、DDTで人気プロレスラーとして活躍している。174センチのスラリとした長身で、10代で芸能界デビューして、06年には旭化成のキャンペーンモデルに抜てきされるなどモデル、タレントとしても活躍。13年8月のDDT両国大会でプロレスデビューし、14年のプロレス大賞で女子初の新人賞を受賞した。得意技はケツァル・コアトル。

◆赤井英五郎(あかい・えいごろう)1994年(平6)9月22日、東京・世田谷区生まれ。小、中学校とラグビー、米ハワイで過ごした高校時代はアメリカンフットボールを経験。米カリフォルニア州ウィディア大に進学し、20歳の時、ボクシングを開始。16年に大学を一時休学し、日本で本格的に東京五輪を目指す。18年全日本社会人選手権ミドル級優勝。アマ戦績は8勝(4KO)6敗。通常体重は77キロ。身長179センチの右ファイター。