東京五輪代表でウエルター級の岡沢セオン(25=INSPA)が初の世界一に輝いた。決勝でオマリ・ジョーンズ(米国)を3-2で下した。バンタム級の坪井智也(25=自衛隊)がともに、これまでの最高位だった11年ミドル級の村田諒太の銀メダルを塗り替え、初の金メダリストになった。

膝から崩れ落ちた。勝利の判定のアナウンスを聞くと、顔をくしゃくしゃにして歓喜に浸った。「自分を信じてやるしかないと思っていた。迷ったら負けだった」と接戦を振り返った

万全には遠かった。準決勝で左肩を痛め、ミットをまともに打てない状況だったという。放てるのは右ジャブと軽めの左ストレート。豪打を振るう相手に対し、細かなフットワークを生かしたアウトボクシングを軸にした独特のスタイルを貫いた。

2回は劣勢に追い込まれた。間合いを詰められて本来の動きを封じられる窮地。「もっと楽しもう。今できることをやりきろう」と奮い立たせた最終回。この数年で徹底してきた有効打を打ち込んだ瞬間に、すぐに片手を上げてアピールする姿、そして楽しみような笑顔が際立つ。接戦を見事に制した。

「つらかった。もう誰も裏切りたくなかった。必死だった」と涙した。史上初の「アマチュアのプロ」。拠点を置く鹿児島県鹿屋市を中心にスポンサーに直接営業も行い、今年4月から「プロ」として活動してきた。期待を背負った東京五輪では2回戦敗退し、失意にまみれた。それから3カ月、次の世界舞台で最高の結果を出した。

山形県生まれで父はガーナ人で母は日本人の25歳は、「アマチュアはプロの下だと思ってない。最高の競技だと思っている」とアマチュア愛を貫く。プロと違い、3分3回で採点の基準も異なる。そこに魅力を感じ、「もっと知ってほしい」と訴えてきた。「ここで終わりではない。もっと強くなりたい」。雪辱の舞台となる3年後のパリ五輪へ、最高の再出発となった。

◆岡沢セオン(おかざわ・せおん)1995年(平7)12月21日、山形県山形市生まれ。山形大付属小2年から同付属中までレスリングを続け、高校入学後からボクシングを始める。176センチ、65キロ。家族は両親、弟。血液型A。好きなボクサーはギジェルモ・リゴンドー。