【須本光希〈下〉】「いつか恩返しを」苦しむ日々で気付いたこと、指導者を志した理由

日刊スポーツ・プレミアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の信念に迫る「氷現者」をお届けしています。シリーズ第70弾は須本光希さん(25)が登場します。

4歳で競技を始め、ノービス時代から活躍。17年に全日本ジュニア選手権優勝やジュニアグランプリ(GP)ファイナル銅メダルなどの実績を残し、全日本選手権にも7度出場しました。23年に現役引退後は一般企業で働き、今夏から本格的に指導者に転身しました。

全3回の下編では、ジュニア終盤から現在までを描きます。新型コロナウイルスの感染拡大や原因不明の病気に苦しんだ大学時代。ただ、その日々は、大切なことに気付かされる時間でもありました。指導者を志した理由に迫ります。(敬称略)

フィギュア

◆須本光希(すもと・みつき) 2001年(平13)2月4日生まれ、大阪府泉大津市出身。大阪・浪速高―関西大。4歳で競技開始。全日本ノービス選手権は10年から4年連続出場。17年にはジュニアGPシリーズ・リガ杯優勝、全日本ジュニア選手権優勝、ジュニアGPファイナル銅メダル、全日本選手権6位。18年世界ジュニア選手権9位。22―23年に現役引退。23年4月から2年間は大阪府内の一般企業に勤務。26年7月から本格的に指導者に転身。憧れのスケーターは羽生結弦。身長164センチ。血液型AB。

関西大のウエアに身を包む、左から須本光希、本田太一、三宅星南(須本さん提供)

関西大のウエアに身を包む、左から須本光希、本田太一、三宅星南(須本さん提供)

「人との縁は強く感じます」

自分はどれだけの人に支えられてきただろうか。

仲間、恩師、先輩、憧れの人。

スケート人生を振り返ると、自然とたくさんの人物の名前を挙げていた。

須本はしみじみとつぶやいた。

「いろいろな人との関わりがあって、ここまでやってきたんだなと実感します。人との縁は強く感じます」

自分は人に生かされている。

そう気付いたから、指導者を志そうと思った。

友野一希(左)と須本光希(須本さん提供)

友野一希(左)と須本光希(須本さん提供)

島田高志郎(左)と須本光希(須本さん提供)

島田高志郎(左)と須本光希(須本さん提供)

股関節痛、新型コロナの感染拡大

4歳から競技を始め、山本草太や友野一希らを追いかけながらスケートを続けてきた。

中学進学時の13年に羽生結弦がフランス・ニースの世界選手権で演じた「ロミオとジュリエット」を動画で見てからは、競技に本腰を入れるようになった。

中学3年の15年からジュニアGPシリーズや全日本選手権に出場すると、高校2年の17―18年には全日本ジュニア選手権初制覇、ジュニアGPファイナル銅メダル、世界ジュニア選手権9位と大躍進を遂げていった。

近畿選手権 表彰を受け記念撮影を行うジュニア男子たち、優勝は須本光希(中央)、2位本田ルーカス剛史、3位片伊勢武=2018年10月7日

近畿選手権 表彰を受け記念撮影を行うジュニア男子たち、優勝は須本光希(中央)、2位本田ルーカス剛史、3位片伊勢武=2018年10月7日

ただ、その輝きは長くは続かなかった。

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岐阜県不破郡垂井町出身。2022年4月入社。同年夏の高校野球取材では西東京を担当。同年10月からスポーツ部(野球以外の担当)所属。
中学時代は軟式野球部で“ショート”を守ったが、高校では演劇部という異色の経歴。大学時代に結成したカーリングチームでは“セカンド”を務めるも、ドローショットに難がある。