IBF世界スーパーフェザー級3位尾川堅一(33=帝拳)が、同級2位アジンガ・フジレ(25=南アフリカ)との同級王座決定戦を制し新王者となった。

元WBA、WBC世界ミニマム級王者で大橋ボクシングジム会長の大橋秀行氏(日刊スポーツ評論家)が勝負の分かれ目を解説した。

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1、2回から尾川のプレッシャーは非常に効果的だった。既に鼻血を出したフジレから3、4回に反撃と言える左をもらい、パンチも読まれ始めた。接戦の展開も予想したが、5回に踏み込んでの右フックで一気にペースをつかんだ。サウスポー相手に1番効くという「いきなり踏み込み」が見事に決まった。これが勝負を決める一撃だったと言っていいだろう。

ダウンを奪った後から尾川の手数が減り、一気に攻められなかったのは、フジレのカウンターがやっかいだったためだ。左アッパーでボディーや顔面に狙われていた。しかし最終12回に入る前、(田中繊大)トレーナーから「逃げて終わったら世界王者になってもバカにされちゃうぞ」というゲキが飛んだ。そのセコンドの言葉に反応できた尾川の能力の高さを感じた。

4年前の世界戦が無効試合になった後も困難が続き、コロナ禍にも見舞われた。この王座決定戦も延期があり、尾川の気持ちを考えれば慎重に攻めたい気持ちも察していたが、12回に2度のダウンを取った。しかも警戒していた、あのフジレのカウンターアッパーに合わせた右ストレートでダウンを奪取した。実質にはKO勝ちと言っていい内容。そしてセコンド陣の仕事も輝いていた試合だった。

あの米ニューヨークの殿堂マディソン・スクエア・ガーデンで初めて日本人世界王者が生まれるという快挙を喜びたい。他格闘技ではあまり見ることができない瞬間だと思っている。

 

◆尾川堅一(おがわ・けんいち)1988年(昭63)2月1日、愛知・豊橋市生まれ。父雅一さんの影響で2歳から日本拳法を始め、愛知・桜丘高で高校3冠。明大時代は主将でインカレ団体優勝。10年に帝拳ジムからプロデビュー。11年に全日本新人王を獲得。15年に日本スーパーフェザー級王座を獲得し5度防衛。家族は梓夫人(34)と息子3人。身長173センチの右ボクサーファイター。