IBF世界スーパーフェザー級3位の尾川堅一(33=帝拳)が念願の世界王座を奪取した。同級2位アジンガ・フジレ(25=南アフリカ)から計3度のダウンを奪って3-0の判定勝利を収めた。4年前の17年12月、同じ王座を奪取しながら禁止薬物の陽性反応が出て無効試合となった悔しさを晴らし、世界ベルトを腰に巻き、男泣きして喜んだ。

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切れ味抜群だった。接戦の序盤から5回、尾川が踏み込んだ右フックであごを打ち抜き、ダウンを奪った。「圧力をかけて相手を下がらせた。練習していたクラッシュライトが出た」。鼻血を流し、両目周囲が腫れたフジレに対し、最終12回にも右強打で2度のダウンを追加。「ホッとした気持ちしかありません」。スポーツの殿堂マディソン・スクエア・ガーデンでの日本人世界戦初勝利、所属ジム初のIBF王座奪取の味は格別だった。

IBFベルトと同じ赤いトランクスのベルト位置には長男豹(ひょう)君、次男亜陸(あり)君、三男皇(おう)君の名を入れた。インタビューでは息子3人に向け「やったよ!」と勝利を報告。17年12月、米ラスベガスでテビン・ファーマー(米国)に判定勝ちしながら身に覚えのない禁止薬物の陽性反応で王座奪取は幻に。「4年前のファーマーとの試合で、子供たちにベルトをね…すみません」と泣いた。「結果で恩返しするとしか言えなかったので、本当にこの結果はうれしい」。

4年前、自宅玄関脇に飾った世界ベルトは王座無効と同時に所属ジムへ返却した。1年間の資格停止期間は貯金を切り崩して生活。「7、8割は辞めようと思った」。その気持ちを翻したのは当時5歳の豹君の言葉だった。「赤いベルトはいらない。黒い(日本王座)ベルトでいい」。悔し涙をぬぐって強い父を見せると誓った。試合前に勝負パンツを届ける母明美さんの激励もあり、折れそうだった心はさらに奮い立った。

同門先輩で海外試合経験豊富な元東洋太平洋ウエルター級王者亀海喜寛氏を通じてドーピングに詳しい担当医を紹介してもらい、細心の注意を払った。世界ベルトはもう手放すつもりはない。「米国、全世界で試合したい。尾川堅一をアピールしたい」。心身ともに強くなり世界舞台に戻ってきた。【藤中栄二】

◆尾川堅一(おがわ・けんいち)1988年(昭63)2月1日、愛知・豊橋市生まれ。父雅一さんの影響で2歳から日本拳法を始め、愛知・桜丘高で高校3冠。明大時代は主将でインカレ団体優勝。10年に帝拳ジムからプロデビュー。11年に全日本新人王を獲得。15年に日本スーパーフェザー級王座を獲得し5度防衛。家族は梓夫人(34)と息子3人。身長173センチの右ボクサーファイター。

▽WBA世界ミドル級スーパー王者村田諒太(帝拳) 4年間腐らず頑張ってきたこと、他人に何て言われようと、納得いかなかろうと、踏ん張ってきた尾川を誇りに思う(村田公式インスタグラムより)