新日本プロレスは3月6日に旗揚げ50周年を迎える。最年長の永田裕志(53)の姿は、記念ポスターにはない。02年、30周年イヤーの顔としてIWGPヘビー級王座10回の連続防衛を果たし「ミスターIWGP」と呼ばれた男だ。

全盛期は20年前。格闘技の登場で、団体に強烈な向かい風が吹きつけた時代だった。「プロレス最強で新日本プロレスが売り出してしまった以上、どうしても向こう(格闘技)の土俵にも上がらないといけなかった」。01年大みそかの猪木祭に出場も、格闘技ルールに対応できず、ミルコ・クロコップに21秒でKOされた。新日本の「プロレスラー最強神話」は音を立てて崩れた。

02年には武藤敬司、小島聡らが全日本へ電撃移籍し、長州力も退団した。6万人以上を集客してきた東京ドーム大会も、03年には5万人を割った。永田自身は同年の契約更改の席上、草間社長から「新世代の踏み台になってくれ」と要請され、激怒した。そんな逆境の支えは「使命感」だけ。「諸先輩方から見たら僕なんて至らなかったことでしょう。でも会社を背負うという自覚があった。自分があの立場に立つのは嫌だったけど、プロレスの発展のために誰かが犠牲にならなければいけなかった」。団体を支えた自負がある。

現在、プロレス界は低迷期を抜け出し、人気は回復。新日本プロレスはトップを走り、他団体からは多くの選手が集まる。棚橋、オカダと、スター選手も育った。「素晴らしいとしか言いようがない。彼らがやりたいことをやればいい」。自身の連続防衛回数を打ち破っていった2人に、さらなる発展をみる。「結局自分がやってきたことは土台作りという地味な仕事だった。1つの駒であったんだなと思っています」。その男の顔は、どこか誇らしげでもあった。【勝部晃多】

◆永田裕志 1968年(昭43)4月22日生まれ。千葉県東金市出身。92年3月に新日本プロレスに入門し、同年9月にデビュー。02年4月、第31代IWGPヘビー級王座に輝くと、当時歴代最多連続防衛記録となる10回を達成(現在はオカダの12回)。03年11月には、棚橋とのタッグでプロレスリング・ノアの第7代GHCタッグ王者となるなど、他団体でも活躍。団体最年長選手となった現在も、果敢にベルトに挑戦している。183センチ、108キロ。血液型AB。