新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアなどで活躍し、18年に亡くなった「皇帝戦士」ビックバン・ベイダーさんが22年WWE殿堂入りすることが7日(日本時間8日)、発表された。22年の殿堂者は「地獄の墓堀人」ジ・アンダーテイカーに続いて2人目。殿堂入り式典は4月1日、米テキサス州ダラスのアメリカン・エアラインズ・センターで行われる。

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ベイダーさんの殿堂入りの一報を聞いて、パワフルで、時には凶暴とも言えた「最強外国人」の記憶がよみがえるとともに、21年前の福井市内の焼鳥屋でのひとときを思い出した。

01年3月24日、まだ肌寒さが残る福井市の夜だった。福井市体育館で行われたプロレスリング・ノアの試合後に夕食をともにするはずだった若手レスラーが、病院に運ばれた先輩レスラーに同行することになったため、予定がキャンセル。1人で繁華街を歩き、場末の焼鳥屋に入店した。

カウンターに座ると、奥に大柄な3人の外国人の姿が目に入った。ベイダーさん、スコーピオ、ピットブルの3選手だった。どうやら、ピットブルの動きについて先輩たちが指導(説教?)している構図。気付かぬふりをしていると、ベイダーさんから「ボーイ、こっちに来いよ」と声をかけられた。

ぺいぺいの担当記者だったが、当時はノアのシリーズにべた付きして日本全国を回っていたので、顔くらいは覚えていたのだろう。「今日はおごるから飲もうよ」という誘いに甘え、同じ時間を共有した。

私の拙い英語レベルを察してくれて、3人(会話したのはベイダーさんとスコーピオで、ピットブルは終始静かだった)はゆっくり、分かりやすい英語で話してくれた。主にベイダーさんが主導して会話は進んだ。その中で、未熟なプロレス担当の私の心に響いたのはベイダーさんのプロレス論だった。

「俺のファイトを見て、どう思う?日本のファンは激しさ、怖さ、強さを求めてくる。俺はそれに答えるファイトを繰り広げている。だが、それだけではプロレスはプロレス好きのためだけのエンターテインメントになってしまう」。

つまみを食べて、酒を飲みながら、その言葉は熱を帯びていく。「俺の地方都市でのファイトを振り返ってみろ。激しいファイトだけでなく、入場時やリング上でコミカルな動きを入れるだろ。あれは、年に1回、多くて数回しか巡業に来ない地方都市の方々に、特にお年寄り、女性や子供たちのようなプロレスビギナーにプロレスのいろいろな場面を見てもらって、『プロレスは楽しい。もう1回見に来たい』と思って帰ってほしいからなんだ」。

当時からタイトルマッチなどのビッグマッチは大都市部で開催されるケースが多かった。そのような試合はプロレスファンの興味関心を呼び、会場のボルテージも上がり、ファンのファイトに対する要求も高い。それに応えようと、プロレスラーはリスクが高く、ぎりぎりの激しいファイトを繰り広げようとする。

地方都市でそのようなファイトをすれば、ファンは喜ぶだろう。ただ、ファンの裾野を今以上に広げたいから、「バランスにこだわり、激しさの中にも楽しさを交えたファイトを見せるようにしている。『プロレスが楽しい』と感じてもらえれば、『また来たい』につながるかもしれないからな」と意図を語った。

当時から激闘によるダメージの蓄積で体は痛いところだらけだったのだろう。両足首は試合前にがっちりテーピングで固められ、伸ばすことはできない状態だった。そのため、あの巨体が宙を舞う名物のムーンサルトは「ビッグマッチのここぞの場面でしか使えない」と言っていた。

「使わない」ではなく、「使えない」理由。それは、ムーンサルトの着地時に足首が固定されていて伸ばせず、足の指を痛打して骨折のリスクが高かったからだという。「何度も足の指先を折っていた。折ると次の試合に響く。だから、シリーズ最終盤のタイトルマッチのような試合でしか使えないんだ」。プロとしてシリーズを完走するという義務を果たし、地方部でのファン開拓に努め、リスクの高いファイトを求めるファンが集うビックマッチではその期待にも応える。必殺技を機を見て投入するわけだった。

トップレスラーのこだわり、プロレスの深みを知った一夜だった。おごってくれるという約束だったが、ベイダーさんの持ち合わせが足りなくて、割り勘になったのは愛嬌(あいきょう)。後日、大阪・難波のホテルのレストランでハンバーグをごちそうしてもらった。多くのプロレスラーに支えられた約2年間の担当生活で、お世話になった選手の1人だったことは間違いない。

ベイダーさんは18年6月に肺炎のため63歳で亡くなったが、当時の記憶は色濃く残っている。レジェンドが世界最大のプロレス団体の殿堂入りを果たし、短いながらも同じ時間を過ごすことができた私自身も喜びを感じた。【菅家大輔】