昨年10月1日に79歳で死去したアントニオ猪木さん(本名猪木寛至)の決めゼリフ「1、2、3、ダァーッ!」の1月23日、孫の寛太(ひろた)さん(20)が闘魂継承を誓った。23日、都内で猪木さんに対する従四位と旭日中綬章の伝達が遺族に行われた。寛太さんは、猪木さんの弟啓介さんとともに出席。米国の大学卒業後、将来的にはボクサーとして活動するプランを明かした。

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固く結んだ口元は、天国のおじいちゃんにそっくりだった。猪木さんの代名詞「1、2、3、ダァーッ!」の日に、燃える闘魂の勲章を受け取った寛太さんが、決意を示した。将来は「ボクシングを学びたい」。祖父が生前、使用していた真っ赤なネクタイを締めていた。会見後には「ダァーッ!」の決めポーズもみせた。控えめながら、その言動には、名前の「寛」の文字とともに受け継ぐ闘魂が見え隠れした。

猪木さんと女優、倍賞美津子の1人娘寛子さんと、新日本プロレス社長も務めたサイモン・ケリー氏の間に、03年1月に長男として誕生。現在は米ロサンゼルスのサンタモニカ大に通い、機械工学を専攻する。幼いころから拠点は米国だが、日本語でも会話する。国や公共に対する功績を評価された祖父に「母も弟もすごく喜んでいます」と無垢(むく)な笑顔を見せた。

高校2年生の弟ナオトさんとともに動画サイトで見た伝説の猪木-アリ戦に衝撃を受けた。プロボクシングの世界ヘビー級王者に立ち向かう精神は、「自身の中にもあると思う」と自覚する。現在は水泳を習っており、格闘技は未経験。それでも、大学卒業後は「ハードにトレーニングを積んで、希望が見えればそっちの方向もある」などと、プロボクシングやプロレス挑戦、格闘家として生きる選択肢も残している。

ポテンシャルは燃える闘魂のお墨付きだ。猪木さんは10年以上前のインタビューで「孫は(新日本の)ロス道場でいつも選手と遊んでいる。将来格闘家の可能性はあるかも」などと話している。弟のナオトさんは、世界NO・1の格闘技団体、UFCのファイターを目指し、昨年からレスリング部に所属。ジムではムエタイや柔術を練習しているという。「弟が格闘技なら僕はボクシングで」。兄弟の可能性は無限に広がる。

猪木さんに最後に会ったのは9歳の時。日本に遊びに来た際、ホテルで一緒にお昼ご飯を食べ、遊んでもらった。あれから大きく成長し、身長は180センチになった。だが、印象は全く変わらないという。「グランパはグランパ。いつでも大きい」と追いかけ続ける背中だ。

猪木さんのマネジメントを務めるIGF(猪木元気工場)の高橋社長は「本当におじいちゃんっ子」と、その関係性を口にする。今回の会見も、本人の熱い希望で来日したという。

猪木さん、元気ですか? お孫さんたちが、これからも、元気な姿をおじいちゃんに届けてくれそうです-。【勝部晃多】

○…猪木さんに、従四位と旭日中綬章の伝達が行われた。位記、勲記勲章を受け取った弟の啓介さん(74)は「夢にも思っていなかったし光栄。ブラジルやパキスタン、キューバ、北朝鮮を含めていろいろな勲章を受けたが、日本人なので日本で頂くことが一番の名誉。兄貴も誇らしく思っていると思う」と涙を浮かべながら感謝した。授与日は亡くなった日にさかのぼる。日本人プロレスラーとしては初の快挙。1月23日は99年に61歳で亡くなったライバル、ジャイアント馬場さんの誕生日でもあった。

◆旭日中綬章(きょくじつちゅうじゅしょう) 勲章には大勲位菊花章、桐花大綬章、旭日章、瑞宝章、文化勲章などがある。旭日中綬章は旭日章6つのうち3番目。「国家又は公共に対し功労のある方」が対象。昨年秋にデザイナーのコシノジュンコ(本名・鈴木順子)さんや漫画家の萩尾望都さんらが受章。

◆お別れの会◆猪木さんの一般向けお別れの会は、3月7日に東京・両国国技館で開かれる。