DDTプロレスは23日、樋口和貞(37)がドクターストップのために引退すると発表した。
団体として定期的に実施している選手の健康診断において、樋口は第一・第二頚椎の亜脱臼が確認され、医師より「コンタクトスポーツの継続は危険である」との診断が下された。これを受け、樋口本人、医師、団体で今後の現役続行の可能性を慎重に検討、協議してきたが引退という結論に至ったという。
樋口は23日に会見に臨み「現在、首の負傷により欠場しておりますが、医師の診断の結果、首が限界を迎えており、4月5日、後楽園で引退させていただきます。現状なんか自覚症状があるとか、そういうのは何もないんですけど、首だけが限界を迎えていた状態でして。こういう判断になりました。自分としてはプロレスをやりたかったなという悔しさもあります。しかし、このように早期発見できて、自分の足でリングを降りることが良かったとも思っております」と説明。
「本当にこのDDTのリングでは本当にいろんなことがありました。活躍させてもらいました。ベルトも獲ることができました。本当に感謝しております。リングではもう生きることはできなくなりましたが、これからまた人生は長く続いていくと思うので新しい一歩を踏み出して、今後とも頑張っていきたいと思っております。4月5日、後楽園ホール大会、自分はもう試合はできないので、引退セレモニーのみでリングを降りたいと思います。皆さま12年間、本当にありがとうございました」とコメントした。
同席したサイバーファイト彰人取締役も「お医者さんと樋口と会社で、しっかり話し合いして、本人も続けたいという意思があったので。どうにか現役続行できる仕方はないか、治療法がないかといろいろ模索しましたが、保存治療等では回復の見込みがなく。手術して固定することは可能だけど、手術をしてしまうと、首の動きの制限が出て、コンタクトスポーツや首に強い衝撃がかかる運動はできないということで引退という決断になりました。しっかり4月5日、樋口を送り出すことが僕らの使命だと思ってますし、何より樋口君がこれからのまだまだ長い人生、しっかり歩んでいるようにサポートを退団、引退してもサポートしていけるようにできればと思っております」と話した。
サイバーファイト高木三四郎副社長は「樋口和貞は私の友人から、ご紹介いただいて、このDDTに入ってきてもらったんですけども。本当に大相撲出身で、やっぱり豪快なファイトスタイルや、性格も豪快で、彼の豪快さに助けられたりした部分もありましたし。あとやっぱり2022年のKO-D無差別級の初戴冠から、DDTの強さの象徴としてDDTを引っ張ってくれた、DDTにとってかけがえない存在の選手でした」と振り返り、「僕自身も突然のことで本当に驚いてはいるんですけども、本人も先ほど申し上げました通り、自覚症状がないというところで。ただやっぱりドクターストップというところで受け入れるしかないと思ってはおります。僕らとしては最後までDDTの選手、ファンのみんなで温かく送り出してあげることが僕らにできることだと思ってますので、どうか皆さんで送り出してあげてくださいよろしくお願いします」と語った。
4・5後楽園では樋口の希望により、メインイベントで「スペシャル6人タッグマッチ~ハリマオラストマッチ」(吉村直巳&中津良太&石田有輝vs勝俣瞬馬&梅田公太&岩崎孝樹)の一戦を行う。この試合について樋口は「このカードを会社に言って組ませてもらいました。自分の引退に伴い、ハリマオも解散となります。それはもう本当にほかのメンバーとも話し合った上での結果で。本当にハリマオの3人には本当に世話になったんで。最後、自分と同期のDNAの1期生、梅田、岩崎、勝俣、そしてハリマオにいる中津。DNA1期生の雰囲気を感じてもらい、吉村と石田には新たな一歩を踏み出してほしいと思い、このカードを組ませていただきました。本当に皆さん、快く受け入れていただいて本当に感謝しています」と話した。
北海道紋別市出身の樋口は大相撲・八角部屋を経て、2014年にDDTに入門。DDTが新たに立ち上げるプロジェクト「DDT NEW ATTITUDE」(DNA)の1期生として、同年11月28日、梅田戦でデビュー。DNAの主力メンバーとして活躍し、2017年よりDDT所属に。2019年12月より坂口とのタッグが始動し、後に赤井沙希も合流し、新ユニット・イラプションで活動。2022年7月3日、「KING OF DDT」初制覇を果たし、空位だったKO-D無差別級王座を初戴冠。同月に吉村とタッグを結成し、チーム名をハリマオと命名。後に中津、石田が合流した。
2024年6月より、首の負傷のため欠場。昨年3・20後楽園で復帰すると、同年5月25日、「KING OF DDT」で2度目の優勝。同年6月29日、クリス・ブルックスを破り、KO-D無差別級王座2度目の戴冠。同年8月31日、上野勇希に敗れ王座陥落。今年の1月から再び首の負傷で欠場していた。1・12品川大会が最後の試合となった。KO-D無差別級のほか、KO-Dタッグを4度、KO-D6人タッグを4度戴冠した。

