<横浜大花火:ノーロープ有刺鉄線バリケードマットダブルヘル・メガトン電流爆破デスマッチ>◇26日◇横浜文化体育館

 元横綱が覚悟の「電流爆破」対決で「デスマッチの教祖」を蹴散らした。第64代横綱でプロレスラーの曙(43)が、「邪道」の異名を取る元参議院議員の大仁田厚(54)と、9年ぶりに解禁された「電流爆破デスマッチ」で対戦。プラスチック爆弾を仕掛けた、電流が流れる有刺鉄線で囲われたリングで激闘を繰り広げ、計5度の爆破で両者とも深いダメージを負う中、13分35秒、曙が横綱インパクトからの体固めで勝利を収めた。01年の角界引退から11年、第64代横綱がプロレスの王道で新境地を切り開いた。

 プロレス界を背負って立つ覚悟が、215キロの巨体を突き動かした。度重なる爆風と有刺鉄線で、全身から血があふれ出す。それでも、曙は意を決して最後の気力を振り絞った。「曙を大きくするには、大仁田さんしかいなかった」。リングに横たわる大仁田を引きずり起こして抱え込み、そのまま自ら200ボルトの有刺鉄線へ体を預けた。

 会場を揺るがす爆音と火花。身も心も焦がしながら、曙は大仁田をすくい投げで倒し、巨体を落とす横綱インパクトで勝負を決めた。01年9月場所後の引退相撲で土俵に別れを告げてから、約11年。K-1や総合格闘技を経て飛び込んだプロレス界で、1つの“壁”を乗り越えた。「体のダメージはあるけれど、勝てば吹っ飛ぶよ。俺にも“信者”はいる。リングから(観客席を)見ていて涙が出そうだった。プロレス界全体を盛り上げていきたい」。

 3月の後楽園大会で、悲願の世界ヘビー級王座を手にした。その際、乱入した大仁田から「俺の電流爆破に引きずり込む。曙はプロレス界を背負う男。大仁田は土や肥やしでいい」と対戦を要求された。4月以降、タッグ戦で4度激突。リングに沈められ、罵声を浴びせられながら「俺は王者。受けて立つ」とこの日のシングル決戦へ闘志を燃え上がらせていた。

 大仁田が発案した電流爆破デスマッチが行われたのは約9年ぶり。消防法が厳しい近年、屋内で開催したのは異例だった。今興行を主催した横浜大花火実行委員会では約4カ月間、準備に追われた。消防署と会場施設を管理する横浜市側に計7回のプレゼンテーションを行い、爆破実験を実施して安全性を確認して開催にこぎつけていた。

 プロレス界でのし上がるにはデスマッチは避けて通れない。試合後に「不器用な俺は、プロレスで思いを伝えていくしかないんじゃ」と言い残して救急車で横浜市内の病院へ搬送された大仁田に対して、曙は「俺は目覚めたかもしれない。1回勝ったぐらいでは終われない。物足りない」と言い放った。邪道を葬った元横綱が、リングという新たな土俵で、頂点への1歩を踏み出した。【山下健二郎】

 ◆ノーロープ有刺鉄線バリケードマットダブルヘル・メガトン電流爆破デスマッチ

 試合時間無制限の1本勝負で、3カウントフォール、ギブアップ、KOのみで決着。レフェリーが危険と判断する以外のすべての攻撃が可能。通常使用されるロープをすべて取り外し、リングの3面を有刺鉄線とその上にアンペアを落とした200ボルトの電流を流した。残り1面は仕切りがなく、リング下に有刺鉄線と“地雷”と呼ばれる爆破装置をセットした。今回はプラスチック爆弾約500個で通常の約3倍の火薬を使用した史上最大規模。体が触れた瞬間に爆裂して火花が上がる。

 ◆電流爆破デスマッチ

 90年8月4日、FMWの東京・汐留大会で大仁田とターザン後藤が史上初の「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」で対戦。ロープ代わりに200ボルトの電流が流れる有刺鉄線を使用。大仁田が後藤にノックアウト勝ちした。そのあまりの衝撃に「電流爆破デスマッチ」の人気が一気に高まり、大仁田の代名詞にもなった。92年6月にはタイガー・ジェット・シン、94年5月には天龍源一郎、99年4月には蝶野正洋、00年7月には長州力と戦った。03年9月23日のみちのく岩手・安比大会でザ・グレート・サスケに敗れて以来、実施されていなかった。