<ノア:グレート・ボヤージュ>◇9日◇東京・両国国技館◇9試合◇7500人

 ノアの元GHCヘビー級王者小橋建太(45)がリング上から引退を表明した。今年2月19日の仙台ALL

 TOGETHER以来、294日ぶりにリングに上がったスーツ姿の小橋は「今年7月に首の手術をした。復活を目指して頑張ってきたが、完全復活は無理と判断して、引退することを決意しました。応援ありがとうございました」と目を潤ませながらファンに報告した。時期は未定だがコンディションの回復を待ち、1試合だけ引退試合を行う。

 バックステージで出番を待つ間、小橋は何度も目頭を押さえた。テーマ曲「GRAND

 SWORD」が流れ、小橋コールが鳴り響く中、リングに立ち約束通りファンに直接「引退することを決意しました」と告げた。

 数多くのけが、病気を乗り越えてきた鉄人に引退を決断させたのは、今まで知られていなかった首の故障だった。今年2月からの6度目の長期欠場にも、復活を目指してリハビリ、トレーニングに励んだ。だが、数多くの激闘で、4年前から左腕にしびれを感じ、その原因が頸椎(けいつい)の故障だった。医師から早期手術を勧められたが、7月22日の力皇猛氏(39)の引退試合を待ってから、同下旬に行った。左腰骨を削って首に移植。だが、8月になって腰骨に埋め込んだセラミックの部分から、骨盤が縦に2つに割れた。「もう完全復活は無理だと判断した」と振り返った。

 ただ、引退の断を下すまでは悩み抜いた。「やっと力が入るようになってきたのに、やめなくてはいけない。葛藤がありました。でも、首をカバーする体の力がない」。医師からは「こういう状態で手術をしているのに、また試合なんて非常識」と言われた。「でも、俺はプロレスラー。プロレスで生きてきた。常識とは違うんだ。それだけプロレスが好きだった、いや好きです」。誰にも相談せず、何度も行き来した結論が、引退に固まったのは11月に入ってから。「小橋建太のプロレスができなくなってきた自分自身を許すことができなくなった」と言う。

 今年最後となる24日の有明大会終了後に引退表明の予定だった。だが、解雇報道が流れて発表を早めた。「一部でノアから戦力外通告と報じられたが解雇ということはない。自分自身の意思で発表したかったのに無念です」。

 引退試合は、体力の回復を待って行う。「プロレスは僕の命。もう1度だけリングに上がって完全燃焼したい。だから、また明日から、トレーニングをする普通の生活に戻る」。引退試合をノアの所属として行うかは「後のことは分からない。まだ決まっていない。でも、ずっとプロレスラー。今日は引退決意だけ、最後の試合をやってから引退。そして引退しようがプロレスラーで、い続ける」と“生涯プロレスラー”宣言。引退を決意しても、小橋の戦いは終わらない。【小谷野俊哉】

 小橋建太(こばし・けんた)略歴

 ◆生まれ

 1967年(昭42)3月27日、京都府福知山市。本名は健太。

 ◆全日本入門

 85年福知山高卒業後、京セラ入社。87年2月に退社し、同6月全日本入団。88年2月26日大熊元司戦でデビュー。

 ◆ノア時代

 00年6月全日本を退団、ノア旗揚げ参加。リングネームを小橋建太に。06年7月腎臓がん手術。09年7月ノア副社長就任。10年10月、演歌歌手みずき舞と結婚。11年9月ノア副社長を退任。

 ◆得意技

 剛腕ラリアット、逆水平チョップ、ハーフネルソンスープレックス、月面水爆。

 ◆サイズ

 186センチ、115キロ。血液型B。