日本相撲協会は26日、東京・両国国技館で名古屋場所(7月4日初日、ドルフィンズアリーナ)の番付編成会議を開き、荒篤山(27=荒汐)の新十両昇進を決めた。荒篤山は都内の部屋で新十両会見を開き「ほっとしている気持ちもあるけど、もっともっと上を目指したい気持ちはある。ようやくスタート地点に立てた」と安堵(あんど)しながらも、今後への意気込みも口にした。

横浜市緑区出身で、出生地は母親の母国フィリピン。同国で生まれ育ち12歳で来日し、横浜市内の中学に入学した。当初は「はい」と「いいえ」しか話せず、中学時代は「隣に座った子が野球部でいろいろ親切にしてくれたので」と野球部に入部。ポジションはキャッチャーだったという。

フィリピンにいた頃から相撲と触れ合う機会はなかったが、中学2年の時に父が荒汐部屋にメールを送ったのをきっかけに、同部屋の千秋楽パーティーに出席。当時師匠だった先代荒汐親方(元小結大豊)に誘われ、中学卒業後の09年秋場所で初土俵を踏んだ。

相撲未経験で角界入りして、苦節12年で関取の座を射止めた。弟弟子に先を越されることも多く経験してきたが腐らず。最近では、平幕で活躍する弟弟子の若隆景に「稽古で胸を出してもらったり、『みんなで白まわしつけて頑張りましょう』って言われたりもした」と声を掛けられ奮起してきた。

また、会見に同席した師匠の荒汐親方(元前頭蒼国来)が「3年前頃から稽古が終わった後に1人で腕立て伏せをやったり、稽古前に下半身のトレーニングを毎日やったりしていた。その成果が出た」と明かすように、積み重ねてきた努力が実った。16年九州場所から27場所連続で幕下に居続けたが、東筆頭だった5月の夏場所で5勝2敗の成績を挙げて悲願を果たした。

理想の力士像には「この間の合同稽古の時にも御嶽海関にいろいろ教えてもらったので、御嶽海関のような相撲が取れるようになりたい」と小結御嶽海を挙げた。理想の相撲は「立ち合い強く当たって、相手の仕切り線より前で相撲を取りたい」と話す。悲願の関取だが「もう1つ上があるので、そこまで頑張りたい」と浮かれることなく意気込んだ。