横綱照ノ富士(29=伊勢ケ浜)が、59年ぶりの新横綱場所からの連覇を成し遂げた。勝てば優勝が決まる西前頭15枚目阿炎との一番を制し、初日から無傷の14連勝。年6場所制が定着した1958年(昭33)以降、新横綱場所からの2場所連続優勝は62年初場所の大鵬以来2人目の快挙。先場所限りで白鵬(現間垣親方)が引退。番付上で自身初の一人横綱となった場所で、綱の責任を果たした。

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綱の責任を果たす連覇を達成した。番付上で初めて一人横綱となった。照ノ富士は重圧について直接言及しなかったが、「ホッとしてます」とひと息ついた。年間4回目の優勝は、14年の白鵬(現間垣親方)以来。同親方には先月の引退会見で「後を託せる」との言葉でバトンを受けていた。見事に期待に応えた。

劣勢のようにみえたが、照ノ富士の“作戦通り”だった。「運動神経の良さ、そういうのは昔からある」と、三役経験もある相手の相撲を前日まで研究。意識したのは自身の体を「伸ばす」ことだったという。「勢いを止めるにはちょっとでも(自分の体を)伸ばさないといけなかった。こっちが伸びないと、相手も伸びてくれないので」。

立ち合いは押し込めなかったが、阿炎を土俵際に誘い込むと展開が変わった。左足は徳俵。ここで照ノ富士の柔らかい体が阿炎の突きの威力を逃がし、相手の左を抱えて出足を止めた。逆襲に出て、相手の引きに体を預け、難なく押し倒し。阿炎をあおむけにした。立ち合いから先手を取るのがセオリーだが、受けても勝てるのが“横綱相撲”。「体のことを考えても、いろんなことをできる体ではない。1日一番の気持ちで、全部受けて立つという気持ちでやっていました」。横綱としての信条を示しつつ、結果も残した。

8月に日本国籍を取得したが、新たなスター誕生に母国モンゴルも沸き立っている。同国在住の元小結旭鷲山で実業家のダバー・バトバヤル氏(48)は「照ノ富士が横綱に昇進したことはモンゴルでも大きなニュースになった。テレビでもずっと流れていましたね」と証言。自身が運営するモンゴルの小学校でも「『ケガで(序二段まで)落ちてもこうなるんだ。頑張れば照ノ富士になれるんだ』と生徒たちが話し合っている」。故郷の子どもたちにも勇気を与える存在だ。

千秋楽の大関貴景勝との一番には、自身初の全勝優勝が懸かる。「そう簡単にできることではないが、自分も1回もないこと。できるうちにチャンスがあればつかんでいきたい」。場所後の29日が誕生日。20代最後の日に、新境地に立つ。【佐藤礼征】

▽幕内後半戦の伊勢ケ浜審判長(元横綱旭富士) 照ノ富士は慌てていなかった。(2場所連続優勝は)十分に責任を果たしてる。本人も研究している。(阿炎は)体もできあがっていた。しっかりと反省をして相撲に打ち込んでいけばいい。(御嶽海は大関とり起点の2桁だが)とりあえず10番勝っただけだから。まだそういう話じゃない。

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