大相撲の元幕内鏡桜で、春場所千秋楽の3月26日付で引退届を提出、受理された鏡桜秀興さん(35)が3日、東京・両国国技館で引退会見を行った。入門時の師匠の鏡山親方(元関脇多賀竜)が同席。モンゴル出身で、03年名古屋場所の初土俵から約20年の力士生活を振り返り「長い相撲人生だったので、こういう形で引退できたことを誇りに思っています。ケガとかいろいろなことがあったけど、本当にいい相撲人生だったと思います」と、かみしめながら話した。日本相撲協会には残らず、今後は全くの白紙状態だという。

最高位は15年秋場所の西前頭9枚目。その2場所前の15年夏場所では、初の十両優勝も果たしていた。鏡山親方の定年に伴う部屋閉鎖で、21年7月からは伊勢ノ海部屋に転籍。ただ両膝の大ケガなどで、本土俵で相撲を取ったのは20年九州場所が最後で、伊勢ノ海部屋の力士として場内アナウンスされたことはないまま現役を退くことになった。幕内在位は7場所、十両在位は14場所だった。

現在は定年後の再雇用制度で、伊勢ノ海部屋の部屋付きとして協会に残っている鏡山親方は「現師匠ではないけど、ほぼ彼の相撲人生は、私が師匠だった。最後の責任として、今日、私が会見させていただきました」と説明した。長く2人しかいなかった弟子の1人が現役を退くとあって、随所にさみしそうな表情も。「長い間頑張った。『ご苦労さん』と。家族がいるのだから、家族の面倒だけは、しっかり見てもらわないと」と、夫人と1男1女がいる元鏡桜の今後を気遣っていた。

鏡山親方は「初めてケガした時に『休め』と話したけど、どうしても出るという本人の気持ちを、最終的には受け入れてしまった。それが一番後悔している。休ませておけばよかったと。その意味で、きっちりと治してから、この世界を出ていってほしかった」と、この時期に引退となった理由を説明した。さらに「自分よりも長く土俵をやっていた。それだけでも尊敬に値する。相撲部屋の環境としては最悪の劣悪な環境の中において、2人で、3人の時もあったんですけど、工夫しながら努力してきた。本人の努力で、ここまで上がってきた。一生懸命頑張ったのは本人」と称賛した。

思い出の一番について元鏡桜は、新十両に昇進する直前だった西幕下4枚目の場所で、勝ち越しを決める4勝目を挙げた12年九州場所9日目の益荒海戦を挙げた。「今までやってきたことを全部ぶつけようと思っていた」と、当時を思い出しながら、笑顔で振り返った。

3月には日本国籍を取得した。本名を、現役最後のしこ名と同じ「鏡桜秀興(かがみおう・ひでおき)」としたことも明かした。「15歳から日本にいて(出身のモンゴルよりも)日本の方が長い。子どもたちも日本で生まれて、日本でなじんでいるということで、家族と相談して、これから日本で生活しようという結論になりました」と、今後も日本で生活していく予定だ。第2の人生については「今のところは何も。いったん、ゆっくり休んでから、家族と相談して考えようかなと思っています」と話した。