初めて全日本選手権で3位に入り、銅メダルを手中にした時、うれしくてたまらなかったことを記憶している。厳しい日々のトレーニングや練習に耐えた満足感、新人レスラーとして充実していた。それから私はキャリアを積み重ね、国際大会でも勝ってミュンヘン・オリンピック(1972年)前の全日本選手権の決勝に駒を進めた。が、敗れて銀メダル、負ける相手でなかったのに負けた。

ちっともうれしくない銀メダル、ふてくされる自分に嫌悪感が襲う。スケーターの高木美帆選手が、北京オリンピック1500メートルで銀メダル、その表情は敗者の顔だった。世界記録を持ちながら、本命視されていたのに敗れた悔しさ、私たちにもひしひしと彼女の心情が伝わってきた。銀メダルでも立派だと思うが、実力者の高木選手にとっては敗戦だったのである。満足度の個人差の大きさを教えられた。

オリンピックで初めて挑戦した500メートルは、みごとな銀メダル。跳び上がって喜ぶ高木選手を初めて見た。喜びの銀メダルだったのだ。パシュートの銀メダル、姉の転倒で敗れた際の表情、私たちの目には痛々しく映った。3個の銀メダル、高木選手にとっては、価値も思いも異なるメダルだったようだ。

1000メートル決勝、タイムの表示を見て高木選手は、両手を上げて万歳をした。両手の握ったこぶしが、自信を証明していた。オリンピック記録で金メダル、彼女にとっては初めての個人種目での勝利であった。翌朝から大学へ彼女のお祝いのために多くのコチョウランが、次から次へと届けられた。人々に、努力を重ねてきた高木選手の思いが胸を刺したのだ。

大学は企業ではないので、いくらメダルを獲得しても報奨金は出ないばかりか、昇格もない。が、挫折も味わい、日本女子選手歴代最多のオリンピック・メダリストの勲章は、教育者・研究者としては最高だ。日体大は、高木美帆選手をまだまだ応援し続ける。日本女子アスリートの可能性を追求するために、だ。