7月13日に亡くなった演出家浅利慶太さん(享年85)の妻で女優の野村玲子(56)が、追悼公演となる「アンドロマック」(9月7~12日、東京・浜松町の自由劇場)の稽古を行っている。野村にとって、夫、師匠、そして演出家だった浅利さんの存在は大きい。「先生がいないという喪失感ははかり知れません。今、稽古で救われています」と胸中を明かした。

昨年9月、浅利さんは悪性リンパ腫と診断された。体調が悪い時は「(演出家を)引退しようかな」と話すこともあったが、最後の演出作品と覚悟して臨んだ、4月の「ミュージカル李香蘭」の千秋楽後、次回公演に「アンドロマック」を決め、5月の出演者オーディションに立ち会った。6月4日に入院したが、車いすで稽古場に通うことを目指しリハビリに励んだ。最後まで演出家だった。しかし、その願いもかなわず、息を引き取った。

野村は19歳で劇団四季に入り、浅利さんから演技を学び、数々の主演舞台で演出を受け、03年に結婚した。「人生のほとんどを先生と過ごしました。先生とは信頼関係、憧れ、尊敬する気持ち、精神的な支えでした。家では穏やかで、私が買い物に行くと、すぐついてくる寂しがり屋でした」。14年に劇団四季代表を退任し、浅利演出事務所を設立。プロデュース公演を行った。「代表としてラジカルに戦うことも多かった。重い荷を下ろし、純粋な演劇青年に戻ってました」。

浅利さんは「派手な葬儀は嫌。派手にやらないでほしい」と言っており、密葬で行った。ひつぎに愛用のダウンベストやキャップ、ロンシャンのバッグ、眼鏡、筆記用具、好きなお酒と稽古で欠かせないあめとガムを入れたが、台本など演劇関係のものは入れなかった。野村は「十分にやったので、天国ではゆっくりしてほしいと思いました」。

稽古場の演出家のイスには、浅利さんの写真を引き伸ばして置いている。「稽古場が大好きでした。今回の舞台も先生の演出を再現するつもりです」。「李香蘭」「異国の丘」「南十字星」の戦争3部作、「夢から醒めた夢」などオリジナル作にアヌイ、ジロドゥなど、浅利さんが残した演出作品は多い。今後の浅利慶太プロデュース公演について、野村は「これからも続けたい。母音法など先生のメソッドを若い人たちに伝えていきたい」。妻、女優、弟子として、「遺産」を受け継いでいく。【林尚之】