片岡仁左衛門(74)が東京・歌舞伎座「芸術祭十月大歌舞伎」の夜の部「助六曲輪初花桜」で演じる助六に、劇場が沸いている。江戸一、日本一の色男という役がそのまま当てはまる。このほど仁左衛門が、東京では20年ぶり、通算7度目の助六について、12年に亡くなった18代目中村勘三郎さん(享年57)について語った。

-つとめる決意は

仁左衛門 中村屋さんのおうちと助六は、私にとってつながりが強いんです。17代目(勘三郎)のおじさまに教えていただいた。初演の時に。そして、18代目には白酒売で出ていただいたこともある。18代目が「助六やりたい。自分がやる時には、兄ちゃん、教えてよ。兄ちゃんに教わりたい」と言ってくれた。実現できなかった残念さがありますね。

-勘三郎さんの長男勘九郎、次男七之助にも期待する

仁左衛門 勘九郎君へ思いをつなげて、そばで見ててほしい。七之助君は揚巻役者にしたい。若い時に体験しておくと、10年後にまたやる時に違う。2人への期待という気持ちです。私ももうできるかどうか、分からない。この歳でつとめられることもありがたいし、つとめておかなきゃ、つとめられなくなるし。私としては、集大成の心構えで。千秋楽迎えても課題が残ってると思うんですけど。

-勘三郎さんについて

仁左衛門 すごい役者やったねえ…。今でも僕の中にはいるんです。いまだにいないと思えない。いまだに夢も見るしね。追善で喜んでくれてると思うんだけどね。この追善が大成功することが、彼への本当の追善だと思う。

-夢の中で勘三郎さんとは

仁左衛門 芝居してたり、けんかもして、飲みに行ったり。ばかなこと言ってたり。

-共演作で思い出は

仁左衛門 みんな楽しかったなあ。18代目はポラロイドカメラで(化粧を)研究してましたね。立役でも女形でもぴったりの化粧を、彼はできるんですよね。私より、役に、出し物に合った化粧をしますね。

-助六の83年初演の思い出

仁左衛門 緊張しましたよ。助六はほとんどの立役がやりたい役じゃないでしょうか。最初は30代だったのかな。大阪出身の役者が助六をやらせていただく。役が決まっただけで緊張する。客席の雰囲気も上がってきてるでしょ。心臓がこんなに(バクバク)なった。

-助六を演じるにあたって大切なこと

仁左衛門 楽しく見ていただけるように、こちらが楽しく演じる。こういうお芝居は、演者が楽しんでやる。心理を深く掘ってやるとだめなんです。ただ、うわべの華やかさだけではだめ。その兼ね合いを心しながら。ただそれは舞台に出る前の話であって、舞台に出たら何も考えない。

-助六は江戸一の色男。色男とは

仁左衛門 分かりません(笑い)。女性にも男性にも好かれることでしょうね。大阪は母性本能をくすぐるような人が色男とされてる。助六にはかっこ悪いところいっぱいある。揚巻と痴話げんかするところとか。でもそういうところはカットになって、かっこいいところばっかり残してあるんです。

-いい男だ、という気持ちで演じる

仁左衛門 恥ずかしいんですけど、舞台に出たらそういう気持ちでやるんです。日本一とは言わないけど、いい男と思ってやってないと、やってられない。

-実際にいい男

仁左衛門 ありがとうございます。ははははは。ただ、演技だけじゃなく、中からもっていかないといけない。役になりきる気持ちをね。

-必要なことは

仁左衛門 自分で自分をマインドコントロールすること。自分を思いこます。お前はそうなんだ、と。きっちり役をつかんだ上での話です。とにかく台本を読む。1行のせりふでも、陰に隠れている意味を見つけ出す。

-何度も演じた助六についてもあらためて台本に取り組む

仁左衛門 やりますね。ただ、あまり深く掘り下げてもいけない。芝居の質によります。つじつまの合わない芝居もたくさんあるので、あまり詰めるとつまらない。歌舞伎にはつじつまの合わない話がいっぱいある。「そんなばかな」って。でも、芝居は悩みにきてるわけでもないので、その刹那、刹那が楽しい。ものによっては掘り下げてはいけない。だから、今お話したことすべて忘れていただいて、ぽけーっと見てほしい。

-来年で初舞台から70年

仁左衛門 今日までようこられたなあ、と。この歳で助六もやらせていただけるし。いろんな恵まれてることに対しては、やはり親への感謝ですね。私の芝居の作り方は、父ですから。基礎をたたきこんでくれた父への感謝です。【小林千穂】