お笑いコンビ爆笑問題の太田光(55)が、日大芸術学部に裏口入学したと虚偽を報じたとして新潮社を提訴した「日大芸術学部裏口入学裁判」が1日、東京地裁で開かれ、太田が初めて出廷した。

グレーのスーツ姿で現れた太田は、傍聴席前で目の前に眼鏡のような輪を作るポーズをして、傍聴席を指をさすようなしぐさをし、自身の座席の前でも同じようなポーズをして、裁判官の方面に指をさすしぐさをして場を和ませた。

裁判が始まると、太田は新潮社の席を睨むようにみつめた。そして、証人台に立った太田は、日大芸術学部への入学年や入学の経緯などを説明した後に、「芸人としてのイメージをねじ曲げられた」と話し、「仕事としての影響というよりは、自分の父の名刺が顔写真付きで載ったことが嫌だった」と思いを語った。

週刊新潮は18年8月16・23日号で「爆笑問題『太田光』を日大に裏口入学させた父の溺愛」と題した記事を掲載。12年に亡くなった父三郎さん(享年83)が800万円を渡したと報じていた。そこには、三郎さんの「三」と自身の「光」の文字が入っている、父の設立した「三光社」という企業名が記されていた。太田は「僕とおやじをつなぐ会社名をあのような形でさらされたことが悲しかった」と話した。

三郎さんが裏金を渡していたことを否定できるか問われた太田は「それは亡くなっているし、分からない」としたうえで「(三郎さんの)自伝の最初に軍人が嫌いだと書いてあるように、暴力が大嫌い。それくらい暴力が嫌いで、プライドがある父がペコペコして頭を下げるような人ではない。そんなことは絶対ないと思う」と答えた。

その後、太田の高校時代の担任の先生と、演劇部時代の顧問が出廷。担任は太田の成績について「全国模試では上位だった」。「(日大芸術学部)合格の知らせは電話で受けた。今回の記事を受けて、本人に力があったので『えー』と思った」などど証言。太田の父・三郎さんにテレビで活躍する太田の体調を気遣う連絡を3回ほどしたことも明かした。

演劇部顧問は当時の太田について「友達が少なく、ゼロに近い。すさまじく無口だった。入学当初から映画演劇に進みたいといっていて、『これはモノになるな』と思っていた」と振り返った。そして太田の卒業式と謝恩会の日に太田の母親から、太田が横浜映画放送専門学院(現・日本映画学校)と日大芸術学部の両方に受かったと相談を受け「せっかくだから日芸に」と助言したという。

午後1時半から始まった裁判は、午後3時ごろに休憩をはさみ、午後3時15分ごろ再開した。新潮社の証人が「割り算が全くできていなかったという話を同級生に聞いていた」と証言すると、太田はこぶしで自分の手をたたいて怒りを示した。深いため息をし、眉間にしわ寄せていらだちを隠さなかった。

1日午前、26枚の傍聴券を求めて249人が並び、抽選倍率は9・6倍だった。

太田側は日大芸術学部に裏口入学したとの虚偽の記事を「週刊新潮」に掲載されたと、発行元の新潮社に約3300万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めて東京地裁に提訴していた。

18年10月に第1回の口頭弁論が行われ、その後は和解交渉が行われたが決裂していた。口頭弁論でのやりとりは、主に弁護士同士が行ってきた。

▽新潮社のコメント「今日の尋問において、限られた時間内に可能な限り記事の真実性の立証を尽くしました」。