「北の宿から」などで知られる作曲家で、ドラマ「寺内貫太郎一家」の主演でも親しまれた小林亜星(こばやし・あせい)さんが5月30日、心不全のため亡くなっていたことが14日、分かった。88歳。所属事務所が明らかにした。

すでに葬儀などは近親者で執り行っており、「お別れの会」なども予定していないという。CMソングをはじめ、計8000曲超とされる数々の作品を生み出した“巨星”が、静かに逝った。

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所属事務所によると、先月30日の早朝、自宅で倒れていた状態の亜星さんを同居する妻が発見。反応がなく、119番通報をして救急車で都内の病院に緊急搬送されたものの、心不全のため、そのまま帰らぬ人になったという。

14年の「六花亭製菓」のCMソング「花咲く六花亭」発表以降、表立った仕事はほとんどしていなかったというが、大きな病気をすることもなく、自宅で妻と暮らしながら、仕事以外での作曲なども行っていたといい、突然の訃報となった。

東京都生まれ。慶大医学部進学後、経済学部に転部した。学生時代にバンドを結成し、当時はジャズに傾倒していたが、その後作曲家の故服部正さんに師事し音楽の道へ。1964年(昭39)、服飾メーカー「レナウン」のCM曲「ワンサカ娘'64」が評判を生んで、売れっ子になった。

ブリヂストン「♪どこまでも行こう」、日立製作所「♪この木なんの木 気になる木」など数十秒のCMソングでも、キャッチーで親しみやすいメロディーは耳に残り、多くの人が自然に口ずさんだ。あふれる才能は「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」「科学忍者隊ガッチャマン」「怪物くん」などの人気アニメソングをはじめ、フジテレビ系幼児番組「ママとあそぼう!ピンポンパン」の「ピンポンパン体操」などマルチに生かされた。

75年12月発売の都はるみ(73)が歌った「北の宿から」は、それまでの演歌のイメージを進化させるような曲調で、累積売上143・5万枚を記録する大ヒット(オリコン調べ)。76年の日本レコード大賞を受賞した。亜星さんが出演、昨年放送されたテレビ番組では8000曲以上を作ったと紹介されていた。

体重100キロを超える体格でも知られた。16年に日刊スポーツのインタビューに応じた際、「母は102歳まで生きた。俺はそんなに生きるの嫌だけど、死ぬわけにもいかない。病院は大好きで4、5軒行っている。『貫太郎』をやっている時から糖尿だけど悪くなっていない」などと、死期や病気の話も明るく話していた。

◆小林亜星(こばやし・あせい)1932年(昭7)8月11日、東京都生まれ。慶大卒。作曲家服部正氏に師事、音楽の道に。レナウン「ワンサカ娘’64」やブリヂストン「どこまでも行こう」などのCM曲や、「魔法使いサリーのうた」「ひみつのアッコちゃん」など人気アニメソングも多数。02年NHK連続テレビ小説「さくら」にも出演。