フジテレビ系トークバラエティー「はやく起きた朝は…」(日曜午前6時30分)は、今年4月に前身から29年目の放送に突入した。プロデューサーを務めるのは、同局「オレたちひょうきん族」の“ひょうきんディレクターズ”の三宅デタガリ恵介としても知られた、三宅恵介エグゼクティブディレクター(73)。テレビ業界歴52年目の三宅さんに、あれこれと聞いてみた。

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1971年(昭46)に慶大経済学部を卒業して、フジテレビ系列の制作会社だったフジポニーに就職した。

「フジテレビとは言っても、会社だから午前9時に行って午後5時までっていうのは一応あるんです。でも、テレビの現場は違う。そういう意味では日本舞踊の家だったからなじんだのは早かったですね。ADを務めていた『スター千一夜』で、兄貴と劇団をやっていた石坂浩二さんに久しぶりにお会いしたりとかね。あとは、昔憧れていた伊東ゆかりさんとか、黛ジュンさんとかにも会えました」

学生時代は体育会でバスケットボールに打ち込んだ。芸能も嫌いではなかったが、特に入れ込むほどではなかった。

「中学生の時には、日劇にショーを見に行ってたりしてました。渡辺順子っていう名前で出てたんですが、それが黛ジュンになってたりとかね。おやじが先物買いするのが好きで、小学校5年ぐらいの時にはテレビがあったんですが、そんなには見てなかったですね。憧れもなかったし、テレビマンになりたいっていう気持ちはありませんでした。体育会ですからバスケットの生活が一番で、暇な時はバンドやったり、女の子と遊んだりとかね。そういう意味ではテレビマンになる気はなかったんですが、就職の時に話があったんでテレビの世界に入ってみたんですよ」

フジテレビを代表するバラエティーのディレクター、そして出演者としても活躍するが、それ以前に出演したのはNHKだった。

「考えてみたら、幼稚園と高校生の時にNHKに出てるんですよねえ(笑い)。幼稚園の時に、これは日本舞踊をやっていた父の関係だと思うんですけど、節分の日に豆まきする福男の役で先生方が鬼で、というシーンを撮りました。あとは高校2年の時にNHKの『あなたのメロディー』っていう番組に出ました。素人が作詞・作曲した曲を有名な歌手が歌うという。それに応募して、受かって出たことがあるんですよ。自分で作った作詞・作曲の曲で出て、NHKホールだったかなぁ。僕は加山雄三さんに歌ってもらいたかったんですが、当時は守屋浩さんに歌ってもらいました。後にホリプロのお偉いさんになった守屋浩さん。なんか全然イメージが違ったんですけどね(笑い)。その収録に行った時に、もちろんカメリハをやったりしてね。すると『この時はこっち向いてくださいとか』、そんな細かいことを言ってね。はい、何秒前、2、1って言って、なんでこんな秒単位で動かなきゃなんねえんだって。嫌な世界だなと思った記憶があります(笑い)」【小谷野俊哉】(続く)

◆三宅恵介(みやけ・けいすけ) 1949年(昭24)2月5日、東京都生まれ。慶大経済学部卒業後、71年にフジポニー入社。「欽ちゃんのドンとやてみよう!」「笑っていいとも!」「ライオンのいただきます」「タモリ・たけし・さんまBIG3世紀のゴルフ」「あっぱれさんま大先生」「ライオンのごきげんよう」などのディレクターを務める。80年フジテレビに転籍。81~89年の「オレたちひょうきん族」では「ひょうきんディレクターズ」の「三宅デタガリ恵介」としても活躍。90年からクリスマス深夜放送の「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」では、今も演出を務める。04年4月スタートの「はやく起きた朝は…」(日曜午前6時30分)では番組開始からプロデューサー。09年の定年退職後もフジテレビに嘱託のエグゼグティブディレクターとして在籍。千代田企画社長。

 

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