自民党から参院選東京選挙区への出馬を表明する生稲晃子氏(22年4月6日撮影)
自民党から参院選東京選挙区への出馬を表明する生稲晃子氏(22年4月6日撮影)

今夏の参院選が近づき、各党で候補者擁立の動きが活発になってきた。自民党は4月6日、毎回激戦になる東京選挙区(改選6)に、かつて芸能界でブームを巻き起こした「おニャン子クラブ」の元メンバー生稲晃子氏(53)を擁立すると発表した。自民党が東京選挙区に名が知れた著名人の新人候補を投入するのは、女性では2007年の丸川珠代氏(元テレビ朝日アナウンサー)以来15年ぶり、男性も入れたら、2016年に初当選し、今回改選を迎える朝日健太郎氏(元ビーチバレー選手)以来だ。

東京選挙区は都市部でもあり、無党派層の動向が投票行動を左右するというのは、よくある話。東京で2人擁立体制が続く自民党が、新人を擁立する際に無党派層を意識した人選(2010年には元キャスターの女性も擁立、落選)にするのも、現職と新人で支援体制をすみ分けることも、念頭にあるといわれる。

ただ、丸川氏が初めて出馬した際は、ちょっとした波乱が起きた。当時3期目を目指していたベテランの保坂三蔵氏と丸川氏の2人を擁立したが、新人の丸川氏との間で支援体制のバランスが大きく崩れ、盤石とみられた保坂氏がまさかの落選を喫した。当時は第1次安倍政権で、自民党に大きな逆風が吹いたさなかでもあったが、党にとっては、手痛い「番狂わせ」。当時、自民党関係者が「選挙は何が起きるか分からない…」と話していたのを覚えている。

2007年参院選で、自民党の支持団体の会合に出席する保坂三蔵氏(左)と丸川珠代氏(2007年6月2日撮影)
2007年参院選で、自民党の支持団体の会合に出席する保坂三蔵氏(左)と丸川珠代氏(2007年6月2日撮影)

今回、改選で2期目を目指す朝日氏と新人の生稲氏は、言ってみればともに「著名人候補枠」。朝日氏も現職とはいえまだ1期目で経験は浅く、地盤も必ずしも盤石ではない。そのため、生稲氏の擁立論が出た際には、もっと組織の支援体制が整う候補の方がいいのではないかという慎重論も出たと聞く。新人擁立の際の定番だった「ベテランと新人」というすみ分け体制がどこまで機能するのか、関係者を取材すると、自民党内には懸念や不安は完全には消えていないようだ。

ところで、生稲氏。36年間芸能界で活動し人前は慣れているはずだが、4月6日の出馬会見では緊張した様子で、「自分で書いてきたメモを持たせていただきます」と断り、時折、紙に目を落としながら言葉をつないだ。今期で引退する現職の中川雅治氏の後継をめぐっては、生稲氏以外にも、男性、女性さまざまな著名人の名前が浮上したが、中川氏が党内最大派閥・清和政策研究会(清和会=安倍派)に属するため、「清和会枠」での擁立論が押し通され、世耕弘成参院幹事長が生稲氏に声をかけた。別の派閥でも、候補擁立を模索した動きはあったようだ。

生稲氏は会見で、乳がんを乗り越え、病気と仕事、日々の生活を両立する必要性を訴え、自身の経験を通じた活動の実現に意欲を示す一方、具体的な公約の公表は後日に延期した。「分かっていないことはたくさんあると思うが、分かっていないとは言えない」「これから学んでいかなければならない」と、本音も漏らした。選挙まで3カ月という中での出馬表明。しかも選挙区では、有権者に浸透するまでの時間が必要なことを考えると、むしろタイミングは遅い部類で、ドタバタ感も否めなかった。

過去の著名人候補の出馬会見では、これまで続けてきた活動を、当選して議員になっても続けるかどうかという点も注目されてきた。2016年に出馬し、今回改選を迎える今井絵理子氏(比例代表)は、芸能活動との両立を表明。一方、2010年に出馬した三原じゅん子氏(当時比例、現在神奈川選挙区)は「私は二足のわらじをはくつもりはない。女優は辞める」と退路を断って臨み、当選を勝ち取った。

生稲氏は「(もし当選して議員を)やらせていただく以上は全身全霊で国民のために働きたい」とだけ語った。生稲氏自身が、そう呼ばれることをかなり気にしていた「タレント議員」。以前は、選挙では名前や顔が知れていれば有利な状況もあったが、最近は著名人だから当選すると、必ずしもいえないのが実情だ。

生稲氏が戦う東京選挙区には、ともに現職の立憲民主党の蓮舫氏や公明党の竹谷とし子氏、小池百合子都知事の応援を受けるファーストの会の新人荒木千陽氏ら、主な女性候補だけをみても強力なメンバーが並ぶ。政府の委員としての活動に加え、「元おニャン子」の知名度も見込んだ上で生稲氏を擁立した自民党(というより清和会)の戦略は、成功するのか。参院選は6月22日公示、7月10日投開票の見通しだ。【中山知子】