最近、日本の昔話を読む機会が多くあります。正確に言うと、昔話を聞く機会が多くあります。夜に子どもをお風呂に入れた後、日本人の夫が息子に読み聞かせをしてくれます。

ギリシャと日本のハーフというと「2カ国語話せていいね」と言われることも多いのですが、意外と日本語に苦労している方もいるように思います。ギリシャの場合、日本語より英語を使うケースがどうしても多くなりがちですので、日本語を使う機会を意識的に作っていかないと、と思っています。

さて、日本の昔話についてですが、たくさんの話を聞いていると、好きな話、少し違和感を覚える話、「これはちょっと……」と感じる話など、いろいろと感じるところがあります。今回は、かなり個人的ではありますが、お気に入りの話、それは教育上どうなの?と感じる話、絶対受け入れられない話について書いていこうと思います。


■私が好きな日本の「昔話」

まず私のお気に入りの話ですが、個人的に好きな話は『笠(かさ)地蔵』です。貧しいですが心優しいおじいさんが、雪の降る大晦日に「寒いだろうから……」と売れ残ってしまった笠をお地蔵さんにかぶせ、そのお返しにと、お地蔵さんたちがおじいさんにお礼をするお話です。とても心温まるよいお話だと思いますし、心優しい子どもを育てるのにもってこいだと思います。

『分福茶釜』も好きな話です。茶釜に化けたきり、もとに戻るすべを忘れてしまったたぬきがくず屋に引き取られます。それに恩を感じたたぬきが大道芸を見せ、それが大人気となり、くず屋さんはお金持ちに。そして、役目を果たした茶釜のままのたぬきは、お寺に戻され、静かに暮らすことができました。この話もハッピーエンドでいいですね。

分福茶釜像
分福茶釜像

さて、次は教育上どうなの? と感じる話についてです。ここでは『猿蟹合戦』と『かちかち山』を挙げたいと思います。両方の話に共通するのが、登場人物が死んでしまうこと。

『猿蟹合戦』では、蟹(かに)が柿の種を植えて柿の木に成長して実がなったところ、木に登れない蟹が猿に柿の実を取ってもらうよう頼みます。スルスルと木に登った猿ですが、自分ばかりが食べて蟹に分けてあげません。そこで蟹が「猿さん、私にも分けてくださいよ」と言うとまだ硬い青い柿の実を投げつけ、それに当たった蟹は死んでしまいます。

あまりに突然でしかも当然のような流れで蟹が亡くなってしまったので、初めて聞いたときには一瞬頭が話についていけませんでした。日本人の友人にこの話をしたところ、本によってはケガをしただけで済むバージョンの話もあるそうですが、なかなか衝撃的でした。


■「かちかち山」の衝撃的すぎるあのセリフ

『かちかち山』は、もっと衝撃的でした。いたずら好きのたぬきをわなにかけて捕まえ家に縛っておいたところ、たぬきはおばあさんに甘い言葉を投げかけ、縄をほどかせることに成功します。ところが、ここでたぬきはおばあさんを殺してしまいます。

「うまいたぬき汁ができたかな」とおじいさんが畑仕事から戻ると、たぬきが「うまいばばあ汁だよ!」と言いながら家を出ていきます。おばあさんが亡くなってしまう展開に加えて「ばばあ汁」という表現がとても衝撃的でした。

もちろんどちらの話も、猿とたぬきはその報いを受けますし、本の最後には「おはなしのなかには、一部、不適切とうけとられる可能性のある表現や表記がありますが、おはなしの時代背景を考慮したうえで使用しました」との説明もあるのですが、やはり子どもに聞かせる話としては少し刺激が強すぎるのではないかと感じたのが正直なところです。

そして絶対に受け入れられない話です。『ごんぎつね』は、私にとってとてもつらい話でした。いたずら好きなきつねのごんは、兵十をからかおうとせっかく兵十が釣った魚やウナギを逃がしてしまいます。

数日後、兵十のお母さんが亡くなり、ごんは考えます。お母さんがウナギが食べたかったから兵十はウナギを捕ったのではないか? そしてウナギを食べられず、お母さんは亡くなってしまった。

そう考えたごんは、その罪を償おうと魚や栗を兵十の家に届けます。兵十は誰が持ってきてくれるのかを知りません。そしてある日、外出から戻ってきた兵十は自宅に入っていくごんを見つけます。またいたずらをしに来たと思った兵十は家から出てくるごんを撃ち殺してしまいますが、そこには大量の栗があり、これを届けてくれていたのがごんだったと気が付くのでした。


■ごんぎつねに涙が止まらないワケ

この話を初めて読んだとき、涙が止まりませんでした。今、こうして書いていても思い出して涙が出てきます。何が私をこんなにも悲しくさせるかというと、この話を読むと失敗を取り返せないということを言われているような気がするからです。ごんはいたずらをしたり、魚屋から魚を盗んで兵十にそれを届けたりしていました。魚の件は、それで兵十が盗人だと疑われてしまいます。

確かにごんは悪さをたくさんしたかもしれません。でも、兵十に対して謝りたかった気持ちは本当です。そのような気持ちを持って行動していたにもかかわらず、撃ち殺されてしまうというのは、あまりにもひどい終わり方だと感じました。

現実には、このようなケースはたくさんあると思います。でも、せめてお話の中では、ごんの謝りたいという気持ちが尊重されてもよいのではないでしょうか? これだと、一回失敗したら、それを取り返すことはできないと感じてしまいます。

一方、ギリシャで親しまれているギリシャ神話に出てくる登場人物は、神様であってもとても人間味があると言われています。神様という特別な存在であっても、人間のように怒ったり悲しんだり、喜んだりします。もちろん失敗もたくさんします。

ゼウスは浮気を何度も繰り返しますが、そのたびに奥さんのヘラは怒って、浮気相手をひどい目に遭わせます。ただ、そこには失敗してもやり直せるという、少しの希望も感じることができます。神様だって自分勝手に行動し、いろいろ失敗もするのだから、少し失敗したって頑張ればそれを取り戻せる。そんな風に感じるのです。

人に危害を加えたり、迷惑をかける行為は褒められたものではないし、避けられるのであれば避けた方がよいに決まっています。ただ、失敗をしてしまったら、そこでおしまいという考え方だけだと少し悲しい気もします。ごんの気持ちをくみ取る話の終わり方の方が、私は好きです。


■昔話は日本の文化や考え方を知る1つの方法

もちろん、残酷な終わり方をするのは日本の昔話だけではありません。みなさんご存知の『イソップ物語』や『グリム童話』なども、かなり衝撃的なエンディングを迎えるものは少なくありません。

そして、昔話には例えば、「悪いことをしたらダメだよ」ということを教えるためにわざわざ怖い「報復」が含まれているのかもしれません。前述の通り、最近は同じ話だったとしても、マイルドなエンディグなものもあるなど、単純に日本と海外のものを比較してどちらがベターか、と論じるものでもありません。

まだまだ私の知らない話もたくさんあると思いますし、私の解釈が正しくないということも多いと思います。ですが、私にとっては日本の考え方や文化をよりよく知る1つの方法となっているのは確かです。息子の寝る前なので、私も寝そうになりながら聞くことも多いですが、少しずつ勉強していきたいと思っています。

【アナスタシア・新井・カチャントニ : 通訳、翻訳家、ライター】