西山朋佳白玲(清麗・女流名人・女流王将=31)の師匠、伊藤博文七段(66)が弟子の棋士編入の権利行使表明を喜んだ。奈良県大和高田市で将棋教室を営む伊藤は26日、日本将棋連盟を通じて「長年にわたり、共に歩んできた弟子の西山朋佳を、棋士として、私の系統のところに載せることは、お互いの夢でした。師匠の想いをかなえてくれて、ありがとう。そして、おめでとう」と祝福した。
「相当な負けず嫌い」。師匠は弟子をこう評する。5歳のとき、自宅で姉が父から将棋を教わる姿を見て興味を持ち、小学1年から地元の将棋教室に通った。小学5年で、大阪府羽曳野市にあった伊藤の将棋教室の門をたたいた。
「すでにアマチュア三段の力があった。強かった」。母親からは「片頭痛がきついので、当日になってみないと、教室に来ることができるかわからない」と相談を受けた。「来ることができるときに来たらいい。束縛はしない」。そんな教室のおおらかな方針が合ったのか、次第に通う回数が増え、力をつけていった。
休憩時間にはトランプやオセロでも遊んだ。片手を重ね、一番下の子が手を抜いて上からたたく遊びでも、負けん気の強さは変わらなかった。「上から思い切りたたく、師匠とか関係なし。思い切りたたかれて、腫れるぐらいの痛さだった(笑い)」。勝負ごとには、いつも一生懸命だった。
小学5年のとき、小学生女流名人の全国大会で優勝。「奨励会に入りたい」という思いを強めたという。「終盤は私よりも強かったが序盤が弱点だった」。師匠は西山の自宅に出向き、徹底的に序盤を鍛えた。
中学2年の10年に棋士養成機関の奨励会に入会。20歳で最高段位の三段まで駆け上がった。東京の大学への進学を相談されたときも、師匠は「そうか」と本人の意思を尊重した。
棋士まで、あと1歩届かなかった。21年、25歳で奨励会を退会。その後は女流棋士として歩みを重ね、ついに棋士への道を切り開いた。
師匠は言う。「よくここまで耐えて頑張りましたね。これからも歴史を変えていって下さい。対局が多くなると思いますが、身体には気を付けて、頑張って下さい」。師匠と弟子の夢がかなった。【松浦隆司】

