1000年に1度という津波と、原発事故で多くを失った。先行きは見通せない。帰るか。帰らないか。そんなことではなく、みんな生きて行かなければ。だから、一歩踏み出した。

 渡辺さんは言う。「後ろ向きじゃなく、希望を持って前向きに生きたい。一番はそこでした」。

 帰還する人がいなければ、小売店も市場も成り立たない。業種はホテルに絞られた。被災3県の事業者に再開資金の4分の3を補助する国の「グループ助成金」の利用を考えたが、複数の自営業者がそろって他業種にくら替えする例がなく、国や県との交渉は1年半にわたり難航した。

 粘り強く交渉を続け、町の商工会に相談。富岡町の雑貨店「津多屋」の坂本禎人さん(53)衣料品店「綿屋」の小林新一郎さん(49)「スナックK」の佐藤新一郎さん(42)自動車販売「音吉ホンダ」の渡辺信一さん(41)が仲間に加わった。最後には、町で別のホテルを経営していた60代男性が「熱意と覚悟は分かった」と参加。賠償金との兼ね合いもあり、国の補助金は3分の2に減額されたが、8人の決意は変わらなかった。

 事故前には借りたこともない3億5000万円もの巨額の借金も、みんなで背負い、前を向いた。

 避難指示区域で営業しているホテルはあるが、いずれも、廃炉作業や除染作業などに携わる作業員向けの寄宿舎だ。富岡ホテルは、一般客向けのビジネスホテル。66部屋のシングルルームと、3部屋のバリアフリーのツインルームの計69部屋あり、バス、トイレは別。食事は滞在型の客も考慮し、栄養士による健康に配慮した食事を提供する。ホテル1階には落ち着いたバーラウンジも入れる。部屋やロビーはウッド調の落ち着いたデザインに決めた。