青森の町並みは忍者が作った!? 青森大に日本唯一の「忍者部」がある。16年4月に発足し、現在は薬学部の学生を中心に活動中。弘前藩(津軽藩)に存在した「早道之者(はやみちのもの)」と呼ばれる甲賀流忍者組織の研究を行っている。薬学部ながら歴史も研究する清川繁人教授(56)を中心に文献発掘や忍者の活動を広め、外国人観光客らにアピールする狙いもある。青森と忍者の意外な関係。こっそりと紹介します。

■■町並みつくった弘前藩家老は服部家につながる長門

 歴史のかなたにドロンと消えた忍者が青森にいた。清川教授が手にするのは秘伝の巻物ではなく、レジュメ。講義のような軽快な語り口の説明で明かされたのは驚きの史実だ。「実は青森の町は忍者が作ったんです」。弘前藩が1600年の関ケ原の戦いで徳川家に加勢し、初代藩主・津軽為信が周辺を治めた。その際に為信に仕えたのが服部長門。筆頭家老として青森の町割りの責任者を務めた。「この服部、服部半蔵とかで有名な忍者の末裔(まつえい)だったんです」。現在、県庁所在地として栄える町並みは忍びの手によって作られていた。

 発見はさらに続く。古文書を調べると1673年に「早道之者」が結成。忍者組織として、国内最長の約200年間活動していた。幕府の命を受けた弘前藩主の直属部隊として、蝦夷地のアイヌ民族調査やロシア戦の監視。戊辰(ぼしん)戦争への出動を行っていた。隠密部隊のため残された資料を探すのは困難だが清川教授は「調べてみたら広がりがすごい」と確信。学生を勧誘して昨春4月の部発足へこぎつけた。

■■忍者伝書から丸薬などの製法解読、観光アピールも

 学問との相乗効果もある。江戸時代の忍者は薬草などの扱いにたけ、薬売りに化けるなど薬のスペシャリストだった。部員の多くは薬学部のため、忍術伝書から丸薬などの製法解読を行えば薬の歴史も学べる算段になっている。薬学部の堀松星翔(せいか)部長(2年)は「薬や保存食の解読をするのは楽しそうだな」と思い入部。医薬品医療機器法(旧薬事法)の壁があり、調合などの授業は難しいが清川教授は「1日食べなくてもいいカロリー食とかできたら」と忍者飯の復活にも意欲を見せる。

 今後は「青森=忍者」のイメージアップを行い、観光資源としての展開も思索中。豪華客船の出迎えを行い外国人観光客をもてなしたり、近隣住民らへの忍者ショーや手裏剣体験なども行っている。「グローバルに韓国語や中国語が堪能な部員もいる」と多方面での活躍も見すえている。青森から世界へ。現代の忍者は明るく楽しく活動している。

【島根純】

■■人気の忍びは新体操部出身

 大人気の忍びもいる。社会学部2年の福田創さんは新体操部出身。バック転などアクロバティックな動きが得意で、まさに忍者のような身のこなしを見せてショーなどで歓声を浴びる。「忍者なのに全然忍んでいないですね(笑い)。忍者部の活動を県内でとどめるつもりはない。活動を広めていけたら」と意気込む。芝居の勉強も行っており、観客を魅了するパフォーマーとして成長したいと話した。