村山内閣の官房副長官や新党さきがけ幹事長、自民党政調会長代理などを歴任した自民党衆院議員の園田博之(そのだ・ひろゆき)氏(比例九州)が11日午前4時35分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。76歳。熊本県出身。自宅は熊本県天草市古川町11の13。葬儀・告別式は近親者のみで行う予定。喪主は長男哲也(てつや)氏と長女桂子(かつらこ)さん。

平成の政界再編の「影のキーマン」。政策通だが水面下の交渉や根回しが得意。独特の政治勘を持っていた。平成の世では自民党を2度も離党しながら、政界再編に奔走。幅広い人脈を駆使しながら、知恵袋的な立場で政局に関わった。

86年衆院選で初当選し、以来連続当選11回。93年、宮沢内閣の不信任決議案可決後に自民党を離党し、武村正義氏らと新党さきがけを結成。非自民の細川政権に参加した。94年から自民、社会、さきがけの村山連立政権で、村山富市首相を官房副長官として支えた。

99年に自民党に復党したが、10年に再び離党。石原慎太郎、平沼赳夫両氏らと「たちあがれ日本」の結成に参加。日本維新の会などを経て、15年に自民党に再び復党した。父は、故園田直元外相。園田氏の死去に伴い、比例九州ブロックの宮崎政久氏(自民)が繰り上げ当選する見通し。