堺屋さんの悲報に橋下氏は追悼のコメントを控えた。橋下氏の関係者によると、17日に営まれる東京・青山葬儀所の葬儀・告別式に参列する。コメントを控える理由として、霊前に思いを伝えるため、あえて公表はしないという。大きな存在を失ったショックは計り知れない。

鋭い視点で時代を捉えた。1960年代、高度成長期の日本の雰囲気を代表するフレーズ「巨人・大鵬・卵焼き」の起源となる言葉を会見で述べ、流行語となった。当時、巨人は王、長嶋両選手を擁し、大相撲では大鵬が圧倒的な強さを誇っていた。弁当の定番は卵焼き。子どもが好きな3つと同じように、たゆまない高度成長が日本社会を歓喜させていると例えた会見だった。一方で東京への一極集中への皮肉も込めていた。

第1次ベビーブーム世代を「団塊の世代」と名付けた76年の同名の小説では、この世代が社会に与える影響をいち早く予測するなど、将来を先取りする著作でベストセラー作家となった。「峠の群像」など歴史小説も多く「秀吉」は96年NHK大河ドラマの原作になり、竹中直人が主演し、高視聴率を獲得した。

豊かな想像力と官僚とは思えないユニークな発想で「大仕事」を成し遂げた。通商産業省(現経済産業省)の中堅官僚時代には、70年開催の大阪万博の企画を担当した。当時、無名だった故岡本太郎さんを大阪万博の展示プロデューサーに抜てき。周囲が大反対した「太陽の塔」建設のGOサインを出したのは堺屋さんだった。

若手芸術家だけではなく、各分野で若い才能を発掘してきた。政治では橋下氏だった。初めて会ったのは07年11月。ジーパン、茶髪にサングラス姿。物おじせずに論戦を戦わす「茶髪の弁護士」に「変革」のエネルギーを感じ取った。大阪府知事、大阪市長と「政治家・橋下徹」のブレーンとしても活躍した。橋下氏が掲げた道州制など地方分権は、堺屋さんの持論だ。

70年万博を成功に導いた立役者は、25年大阪万博誘致でもアドバイスを送った。55年ぶり2回目の大阪万博の開催決定を見届け、天国へ旅立った。訃報に触れた大阪府の松井一郎知事は「万博を見せたかった」と話し、思いを代弁した。【松浦隆司】