新元号の発表を翌日に控えた3月31日、岐阜県関市にある「道の駅 平成(へなり)」には多くの人が詰めかけた。駐車場は200台近い車で常に満車の状態。「平成」の文字入りのグッズやお土産を求めて行列ができたり、看板の前で記念撮影をするなど、それぞれ平成最後の思い出を作り、雰囲気を味わっていた。4月1日には、新元号発表に合わせてパブリックビューイング(PV)を開催する。

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平成最後の年に、再びフィーバーが訪れた。30年前はなかった「道の駅 平成(へなり)」(96年開業)で、「平成」の文字入りメモ帳が完売。ポストカードや、まんじゅうなども売れていく。「結婚し、子供が成人した平成という時代の思い出にやってきた」。名古屋市から来た40代後半の夫婦は、看板を前に自撮りしていた。

昨年4月、代替わり儀式の基本方針が決まったのを受け、関市や地元商工会は「ありがとう!平成時代実行委員会」を結成。道の駅で感謝イベントを行い、各種商品を売り出すと、観光客が再び訪れ始めた。

年号が発表された89年1月、わずか9世帯37人しかいなかった当時の武儀町(むぎちょう)平成地区は、降って湧いたような騒ぎになった。「元号バブル」で、マスコミに観光バス、一般車両が次々とやってきた。

当時の町役場職員で、関市と合併した05年に町長だった福田尚雄さん(76)は、こう振り返る。「小渕さん(当時の官房長官)が平成の文字を出した瞬間から、役場の電話が鳴りっぱなし。職員総出で対応した」。

その後、ふるさと創生事業の資金1億円で「元号橋」を造り、93年に特産品のしいたけを使った「椎茸すなっく」を商品化した。年間5000万円ほど売り上げたという。立派な「町おこし」となった。「平成の大合併」では隣接する関市への編入と、まさに平成の歴史をなぞっている。

福田さんは言う。「出張先で平成地区から来たというだけで、話が盛り上がり、第一印象が良くなった」。それは、ここを訪れる観光客の土産話も同じかもしれない。

実行委員会では3月1日から21日まで「新元号予想コンテスト」を行い、約1300票の投票があった。トップ5は、「安永」「永和」「安久」「和永」「安明」。「新元号と同じ名前の集落があったら、平成と同じことになると思います」(福田さん)。発表にも注目だ。【赤塚辰浩】