中曽根康弘元首相の死去から一夜明けた30日、1983年(昭58)にレーガン大統領を招いた東京都日の出町の「日の出山荘」には115名の記帳がされ、150人以上の弔問客が訪れた。中曽根氏と52年前に会って以来、親交のある管理人の原ヨネ子さん(77)は、3棟ある山荘の「天心亭」で、中曽根氏の飾り皿を手に「この作品が先生を表す代表です」と思いを込めながら口にした。町は6日まで山荘の入館料を無料とする。献花台と記帳台は13日まで設置する。

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「人生の親でした…」。ヨネ子さんは中曽根氏をそう表現した。1番の思い出は選ぶことができない。それほど大きな存在だった。思いやりがあり、「政治家にも、総理大臣にも、一般人でもいつも変わらず、一切おごることはなく接してくださった」と口にした。

中曽根氏はどのような人物だったかを問われると、「この飾り皿が全てを表してくれている」と教えてくれた。飾り皿には「茶は服のよきように」で始まる千利休の説いた「利休七則」のうち、中曽根氏が選んだとみられる六則がつづられている。

 

花は野の花のように

炭は湯のわくように

夏は涼しく冬は暖かに

降らずとも雨用意

刻限は早めに

相客に心をつけよ

康弘

 

最初の一行について「先生のために私がきれいに花を生けても、気を使って『疲れたでしょう。自然のままが一番良いよ』と言ってくれました。その花も大切に持って帰ってくださり、何事も自然に生きることが大切だと教えてくれました」と人柄をしのんだ。

最後の一行「相客に心をつけよ」が心に最も深く残る。「この言葉が1番好きです。あの人にしかできない、中曽根さんの人に対する心遣い。本当にすてきな人でした」と胸を押さえた。

最後に会えたのは一昨年。中曽根氏はいつも通り記念館を見ていた。突然の訃報には「信じられなかった」。おもてなしをして当たり前のはずの管理人の夫妻に「君たちが居てくれたから」と声を掛けてくれたことが忘れられない。

「先生は甘い卵焼きが大好きで、作ったこともありますよ」。優しい笑顔で語ってくれたヨネ子さんのいる場所が、中曽根氏にとって、つかの間の休息の場だったことは、初対面の私にもすぐに感じることができた。【佐藤勝亮】