映画「男はつらいよ」の22年ぶりのシリーズ最新作が27日から、全国で劇場公開される。1969年(昭44)の第1作公開から50年。寅さんは亡くなり、学生運動もベトナム戦争も終わって、沖縄は日本に還ってきた。時代が移り、昭和史の1ページにとじ込まれた「1969年の車寅次郎」を改めて見返すと、人々に愛された国民的映画の別の顔が見えてくる。コラムニストの亀和田武氏が分析した。

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「男はつらいよ」第1作が公開された69年、2浪の末、大学に入学した私には、学生運動一色の1年でした。予備校時代から、運動に参加していた私は、仲間とともに70年の日米安保改定を控え、「日本の革命状況が変わる時だ」と意気あげていたころです。

当時は、東映の高倉健主演のやくざ映画が学生たちの間で人気でね。私も浪人時代、満員のオールナイト上映で、新宿の夜を明かしました。耐えて耐えて、最後に立ち上がる健さん。一方の寅次郎は、フーテンのやくざ者を自称しつつ、帰る故郷と温かく迎えてくれる家族に甘えているようで。現実味のないホームドラマと映って興味が持てませんでした。家族は学生運動の足かせになるものなんです。親たちは「危ないところに行っちゃダメよ」「受験はどうするの」などと、デモへの参加をいさめる。学生たち、特に高校生なんかは「家族帝国主義、粉砕!」と反抗したものです。

それに「フーテン」というのは当時、新宿の街にたむろして、学校にも仕事にも行かず、といって家にも帰らず、ジャズ喫茶で睡眠薬かじってフラフラしてる連中を指したんです。だから寅さんは、僕のイメージするフーテンじゃない、という違和感もありました。

今秋、シリーズ最新作の公開を前に、初めて第1作を見ました。新鮮でした。僕が知ってる69年の東京は、新宿で学生が暴れ回り、銀座でミニスカートの女性が買い物し、騒然として、浮ついた街でした。大きな商業施設ができて、渋谷や吉祥寺の街も大きく変わり始めていた。でも、映画には江戸川土手とか帝釈天の門前町とか、僕の知らない69年の東京がありました。

ストーリーも、改めて見るといい話だと思いました。あんな温かい家族と地域なんて日本全国、もうどこにもないかもしれない。ファンタジーの世界だけど、誰もが憧れるファンタジーだから、長く愛されるシリーズになったのでしょう。

◆亀和田武(かめわだ・たけし)1949年(昭24)生まれ、東京都出身。実話誌、マンガ誌の編集者を経てフリーに。コラムニストとしてのほか、テレビ各局でワイドショーの司会を務めた。週刊文春に「テレビ健康診断」、週刊朝日に「マガジンの虎」を連載。著書に自身の青春時代を描いた「60年代ポップ少年」など。

 

【あらすじ】小説家の満男(吉岡秀隆)は、中学三年生の娘と二人暮らし。最新著書の評判は良いが、次回作の執筆にはいまいち乗り気になれないモヤモヤした日々。なぜか夢の中には、初恋の人・イズミ(後藤久美子)が現れて悩み出す始末。そんな時、妻の七回忌の法要で柴又の実家を訪れた満男は、母・さくら(倍賞千恵子)、父・博(前田吟)たちと昔話に花を咲かす。いつも自分の味方でいてくれた伯父・寅次郎(渥美清)との騒々しくて楽しかった日々。あの寅さんへの想いが、蘇(よみがえ)る-(公式サイトより)