東日本大震災直後、岩手県宮古市から宮城県石巻市までの沿岸部150キロを約2週間、お経を唱えながら歩いた人がいる。禅宗別格本山・石雲禅寺(岩手県盛岡市)の小原宗鑑副住職(38)。あれから10年。「自分の中で、何が変わったかも分からない。誰かの役にたったとも思っていません」。10年前の経験の結論は今も出せていない。

震災発生から約3週間後の4月1日に寺を出た。「誰かに寄り添ったり出来るかもしれない」。そんな思いもあった。暗闇の中、到着した宮古・浄土ケ浜の林にテントを張った。夜明け。見えた風景に「頭の中と現実が一致しなかった」。

僧衣に着替えても「ちゅうちょしていた」。通りがかった中年女性から「あんた、何してんの? その服を脱いでボランティアでもしたら」の声。背筋が伸びた。ようやく歩き出したが、惨状に声が出なかった。「助けを呼ぶ声をお経でかき消してしまうのでは。ご遺体を探している御家族に死を突きつけてしまうのでは」。がれきに合掌することが精いっぱいだった。

たまらず師匠の中島紹信住職に電話した。「何も出来ないことを学んできなさい」。鎖につながれてたままの犬。浜辺で倒れた雌牛の乳房を真っ黒なカラスがつついていた。「数え切れない命が失われている」。拝みは謝罪に近かった。

大船渡市では遠縁の依頼で体育館の遺体安置所へ。約100体を拝んだ。一方で、隣接グラウンドでは笑顔で元気にサッカーをする子どもたちの姿。死と生、静と動があった。「無があるからこそ、有るということが引き立った」。

石雲禅寺には不登校の子どもたちや、生きる中で悩みを抱える人らも修行体験に訪れる。震災以降、毎月11日を「知足の日」と定め、当時の被災地の生活を共有している。1日、白米とみそ汁だけ。農家の苦労、調理してくれる人の思い、太陽や生命の恵み。「有る」ことに感謝する。「普段は食い散らかす子どもも残さず食事し、お風呂もきれいに入るようになった。言葉で言われなくても、伝わることがある」。

拝んで歩いたからこそ、より学んだこともある。考えるだけでなく行動する。「両方が整えられて初めて実を結ぶ」。【鎌田直秀】

○…石雲禅寺には「知足観音像」がまつられている。宮城県大崎市の知人からの寄贈。震災を乗り越えて頑張ってきた子どもたちに、がれき木材を使ったトロフィーを贈るイベントで、木材の中に混在した観音様があった。小原さんは「ご縁があって、ここに来た。顔に傷があり、手や足は折れていますが、すでにそのような姿であったのかと思うくらいバランスが取れている。自らの足るを知っている姿として名付けました」。来訪者も手を合わせる。

◆小原宗鑑(おばら・そうかん)1983年(昭58)1月7日生まれ、岩手県盛岡市出身。幼少期から母と通った座禅をきっかけに、地元中学卒業後に奉仕活動なども学ぶ一燈園高(京都)に進学。06年に東洋大文学部インド哲学科卒。08年から石雲禅寺で、町や家を拝んでまわる托鉢(たくはつ)や座禅、作務と呼ばれる畑仕事、庭木手入れなども行う修行中。

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