発明家のドクター・中松氏(本名・中松義郎=93)が28日、東京国際フォーラムで緊急会見を開き、21年12月29日に体調が急変して救急搬送され、脳幹梗塞で生命の危機に立たされていたと明らかにした。同氏は「(脳幹は)脳の真ん中の奥。1番重要なところ。呼吸や心拍、消化、体温調整など生命維持に深く関わる重要なカ所…死ぬ直前、ほとんど死んでいた。5~10分遅れたら心臓が止まっていた」と語った。

中松氏によると、21年12月28日に特許庁に出願した際、年末で締め切りが通常より3時間前の午後9時だったため、すごい根を詰めたハードワークをした結果、出願が終わった頃「左耳が半分くらい聞こえがたくなって、左側の手足の表皮感覚が意義の触覚と違うような感じがした」という。翌29日朝になって耳が半分聞こえず、左手足の感覚もおかしかったため、午前10時18分に秘書に連絡し、ただちに救急車で運び込まれ、脳幹梗塞と診断されたという。

中松氏は同年12月22日に都内で「覚年会」と題した会見を開いた。その中で同日、東京都で新たに40人が新型コロナウイルスに感染したと発表されたこと、大阪府内でオミクロン株の市中感染が確認されたことを受けて「昨日より東京の感染者が増えた。大阪で市中感染が始まり、東京でも手の付けられない市中感染が起きるだろう」と、新たな感染拡大、第6波は不可避との考えを示し、警鐘を鳴らすなど元気な様子だった。

中松氏は13年12月に前立腺導管がんと診断され、医師から余命2年と宣告された。16年7月には検査で右骨盤に転移した可能性を指摘されたが、その後、治療法もないため、自ら10種類の治療法を発明。19年9月に都内のドクター中松創研で開いた会見で、医師から右骨盤の骨がきれいになり“がん卒業”を伝えられた上、血液検査の結果、前立腺導管がんも治ったと判断できる数値が出たとして、がんを克服したと明らかにしていた。それ以来の大病となる。