野口聡一宇宙飛行士(57)が笑顔で宇宙航空研究開発機構(JAXA)に別れを告げた。25日、野口さんは都内で会見を行い、6月1日付で「後進に道を譲りたい」とJAXAを退職することを発表した。今後の具体的な道は示さなかったが26年間の宇宙飛行士としての経験を「水先案内人」として次世代に継承する新たなミッションに臨む。

    ◇    ◇    ◇

1996年に民間会社勤務からJAXAの前身である宇宙開発事業団(NASDA)の選抜試験に合格してから26年間。JAXAの飛行士を卒業する会見に涙はなかった。満面の笑みとオヤジギャグを連発し、新たな門出を自ら演出した。

-野口さん JAXAの宇宙飛行士は何人もいますけど、おそらく私ほどメディアを愛した宇宙飛行士はいない。メディアにも愛されていたと、一方的に思っています(笑い)。

おなじみのブルーのワークウエアからスーツ姿に変わっても変わらぬユーモアで会場を沸かせたが、宇宙飛行士のレジェンドの1人だ。2005年にアメリカのスペースシャトル・ディスカバリー号で初の宇宙飛行、09年にはロシアのソユーズに搭乗し、国際宇宙ステーション(ISS)に約5カ月間、20年には初の民間宇宙飛行船の米スペースX「クルードラゴン1号機」で、ISSに約5カ月間と2度の長期滞在した。

通算宇宙滞在時間は344日9時間34分は日本人宇宙飛行士として若田光一宇宙飛行士に次いで2番目。通算ISS滞在時間は335日17時間56分は日本人宇宙飛行士では最長となる。その一方で次世代にバトンを渡す決断を下した。

-野口さん (決意したのは)3回目のミッションを終えた頃から。そろそろ後進の人たち、今、搭乗を待っている後輩の宇宙飛行士、新たに選抜が始まった新人宇宙飛行士たちに道を譲りたい。

野口さんの退職でJAXAの現役宇宙飛行士は星出彰彦、若田光一さんら6人になる。卒業から新たな挑戦について具体的な言及は避けたが宇宙への夢は尽きない。

-野口さん 民間宇宙飛行士として水先案内人として活動が続けられれば。1人の民間人として宇宙を盛り上げ、次の世代に向けて、いかに刺激を与えていくか。研究機関、教育機関の仕事に関わっていきたい。

昨年12月に東京大学先端科学技術研究センター特任教授に就任。「何をするにも遅すぎることはない」と、新たな舞台で新たなミッションに挑む。【大上悟】

 

<野口聡一(のぐち・そういち)さんアラカルト> 

◆生まれ 1965年(昭40)4月15日、神奈川県横浜市。

◆宇宙飛行士 高校1年の春にスペースシャトル打ち上げの映像を見て、進路相談で「宇宙飛行士やります」と担任に宣言した。東京大学工学部航空学科、東京大学大学院では工学系研究科航空学専攻。IHIで超音速旅客機のエンジン開発を担当した。

◆宇宙食グルメ 「B級グルメ」をこよなく愛し、焼きそば、から揚げ、焼き鳥、サバ缶などの居酒屋系宇宙食をISS内で堪能し、毎回SNSで「食リポ」を発信して人気を集めた。

◆ギネスブック スペースシャトルで滑走路に着陸、ソユーズで地上にパラシュート降下、クルードラゴンで海上着水と3つの異なる帰還方法で世界初に。

◆野球ファン 小学校1年から中学まで野球(ファーストで4番)。米航空宇宙局(NASA)の勤務地がテキサス州ヒューストンで大谷翔平が地元アストロズ戦に出場する試合は生観戦が欠かせない。

◆スペースバースデー 2度目のミッション中に45歳、3度目は55歳の誕生日をISSで迎えた。

◆家族 夫人と3女。身長180センチ。