吉野ケ里遺跡で石棺墓が新たに見つかり、邪馬台国論争が話題となっている中、縄文太鼓奏者の第一人者茂呂剛伸(もろ・ごうしん=45)と世界的ジャズ・トランペット奏者日野皓正(80)が初コラボしたCD「prevail everywhere」が制作されることが9日、分かった。

日野、茂呂と福田基のユニットDJEMP(ジャンピ)が、11月7日に札幌(キタラ小ホール)でコンサートを開催。CDはその会場で販売されるほか、オンラインでも販売される。

縄文太鼓を知らない人も多いので、まずは日本の太鼓の歴史から振り返る。打楽器は縄文時代からあったとされ、石笛や土笛、土鈴などとともに、狩猟や情報を伝達する手段として音を使用、打楽器も存在していたという。実際に、各地の遺跡から、皮を張って太鼓として使用されたと推定される土器が出土されており、当時の太鼓は「縄文太鼓」という名称で呼ばれている。

この縄文太鼓に魅せられたのが茂呂だった。

茂呂は和太鼓少年で、小6の時には海外でも演奏会を行っていた。「子どもの頃の夢は、和太鼓集団の鼓童に入ることでした」。パーカショニストとして活動をしていた19歳の時、札幌のススキノの路上で、ジャンベ太鼓と出会ったという。「日本人のストリートミュージシャンが演奏していたのですが、一気に魅せられてしまい、手ほどきを受けました」。

ジャンベは西アフリカ起源の太鼓。茂呂はすぐに、ガーナへの留学を敢行した。「ツテをたどり受け入れ先の部族を見つけ、ビザを発給してもらいました。日本でいう、海の家のような小屋での生活です。体で覚えろということでした。ただ、その集団はガーナの雅楽のエリート集団で、部族のお祭りをまわってたり、ダーナを代表するパーカニストもいる部族でした」。

帰国後は、3年ほど、ジャンベ太鼓の演奏家として、クラブなどで演奏を続けてきたという。演奏による収入で生活はできたが、家業の不動産業を引き継ぐ必要もあった。「ジャンベ太鼓の奏者として人生もいいが、太鼓で生計を立てることはやめようと。あくまでもライフワークとして取り組むことを決めました」。

そんな矢先、知人だった詩人で大学で教えていた原子修教授から、縄文太鼓の存在を知らされたという。

「原子先生は縄文時代の専門化で、ジャンベ太鼓と同じく、日本にも縄文太鼓があったと教えられました。北海道は弥生文化がなかった分だけ、縄文時代が長いんですが、何より、この時代は人が人を殺すことがなく、戦争がなかった時代なんです。人を殺さなかった時代の太鼓というところに心ひかれました」。

北海道からも、太鼓だったとみられる土器が出土している。茂呂は北海道江別から出土された約4500年前の土器をモチーフとし、試行錯誤。土をこね、電気釜や登り窯、さらには野焼きも含めて、これまでに200個以上の縄文太鼓を作ってきた。

3年前、美術館の館長の紹介で日野と対面し、すぐにフリーセッションを行うなど意気投合。今回は「縄文文化を音楽で世界に発信したい」という茂呂の熱意にほだされ、日野がCD制作への参加を快諾した。

日野は「茂呂さんはすご人。楽しいし、沸き上がってくる情熱がすごい。彼のリズムが大好きだしいっしょにやりたいと思った」と話す。縄文太鼓については「僕の弟はドラマーだし、父はタップダンスをやっていた。ジャズのリズムは、その昔の奴隷制があった時代までさかのぼる。どんな太鼓も同じで、それよりも、たたく人の人間性が出る、深くクリエーティブものなんだ」などと語った。【竹村章】

◆縄文太鼓 北海道の原土を使用し、手びねりで造形。縄で文様を付け乾燥した後、野焼きをして焼き上げ、北海道ならではのエゾシカの皮を張った北海道産の楽器。札幌圏から出土する縄文土器にヒントを得て創案された。