神奈川・久里浜港(横須賀市)-千葉・金谷港(富津市)の定期航路を走る東京湾フェリー「しらはま丸」が、白い船体を黒く染めて「黒船フェリー」として11月22日から生まれ変わる。鎖国状態だった江戸幕府に開国を迫った米国のペリー提督が久里浜に突然現れたのが1853年(嘉永6)。今年が黒船襲来から170年の記念イヤーということで、ブラックラッピング計画につながった。久里浜が“令和の黒船”で盛り上がりそうだ。
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11日後の22日、久里浜港に“黒船”がやってくる。1853年、久里浜沖に突如として黒船が現れた。令和の黒船は、江戸幕府に開国を迫った黒船ではなく、白い船体を黒く塗り直してラッピング加工をした東京湾フェリー「しらはま丸」になる。久里浜に黒船が最初に接近してから、ちょうど170年を経たことになる。
しらはま丸は静岡県の造船所に6日からドック入りして、ブラック化を進めている。外装後、伊豆半島と三浦半島を左舷からかわして東京湾口にかじを切ってくる。22日午後2時40分ごろ、久里浜港に黒い船体が初披露される予定だ。
“黒船再来”は港町・久里浜の念願でもあった。黒船襲来から160年となった10年前、京急久里浜駅前の久里浜黒船仲通り商店街で「この際、フェリーを黒く塗装したら面白いんじゃないの?」というアイデアが出た。発案者は同商店街副会長の橋本篤一郎(とくいちろう)さん(72)。地元では「トクさん」の愛称で慕われている。
ペリー提督が初上陸したのは1853年7月14日、久里浜村だった。その6日前に浦賀(横須賀市)沖に黒船が姿を見せている。トクさんは「定期船のフェリーが久里浜を母港にしているんだから、黒船が毎日出入りしてもいいんじゃない」と話し、「観光の目玉にもなると思って発案したんだ」とニヤリと笑った。商店街の仲間も「フェリーを黒船に」と旗振りをしていたトクさんの言葉には耳を傾けていた。いつしかトクさんが「黒船おじさん」であることは久里浜で定着していった。
10年前は黒船化実現までタイミングが合わなかったが、今夏、市の補助金などと東京湾フェリーの資金調達もできて、総額1000万円でしらはま丸を黒くするためのラッピングと塗装費用をまかなえた。
フェリーの黒船化を10年間願っていたトクさんも大喜びだ。東京湾フェリーから正式に黒船化が発表されたのは10月11日。ちょうどトクさんが7週間の入院生活を脱したころだった。「いやぁ~、うれしいね。個人的には商店街に声を掛けて(フェリーに)黒く塗装する資金を集めてもいいと思っていたぐらいだから」としみじみと語った。そして「シャバに生還できたら、思いがかなった。これから久里浜は忙しくなるんじゃねーの」と頭をペチンとたたいた。
22日、久里浜港では音楽隊が演奏の中、黒船フェリーが接岸する。大砲を搭載していないが、170年前の再現として4発の空砲音も港に響きわたるシナリオができている。【寺沢卓】
■商店街もペリー通りも地元は盛り上がってます
<珈琲豆「サニム」>
久里浜黒船仲通り商店街には各所に黒船フェリー運行を知らせる特大ポスターが1日から掲示された。通行人らが「へえ、そんなことするんだ」「これ、ネットで見た見た」「本当なんだ、すごいね」などと会話のネタになっている。同商店街にある自家焙煎(ばいせん)珈琲豆「サニム」では、黒船を商品名とするマイルド、ビターの2種を販売。水野泰弘店長(47)は「深いりが人気ですが、苦手な人もいる。黒船は中いりにしている。自由な発想でコーヒーを好きになってもらいたくて先代から引き継いだ製法なんです」と話し、「ペリー提督が日本を開国してくれた。そこまで大げさじゃないけど、コーヒーの新たな歴史…いや、言い過ぎました」と冗談ぽく笑った。
<「はしもと茶舗」>
ペリー提督は4隻の黒船で浦賀沖に現れ、空砲を何発も撃って当時、久里浜周辺に住んでいた漁民らを震え上がらせた。その当時、詠まれた狂歌が「泰平(たいへい)の 眠りを覚ます 上喜撰(じょうきせん) たった四杯(しはい)で 夜も眠れず」だった。
濃いお茶で知られる上喜撰は「4杯飲んだら寝られなくなる」という特徴と、わずか4隻で江戸幕府に開国を迫った黒船の脅威を掛けた句になっている。トクさんが社長を務める久里浜黒船仲通り商店街「はしもと茶舗」では、上喜撰は「黒船」というネーミングで1620円で販売されている。真鍋宜貴(のぶたか)店長(44)は「人気商品ですが、黒船フェリーで新たなファンも開拓できそうです」と今後の展開に期待を寄せた。
<「黒船食堂」>
開国の親書を携えてペリー提督が上陸をした久里浜海岸は、東京湾に面した神奈川県には珍しくきれいな浅瀬の砂浜が広がっている。「ペリー通り」こと県道212号沿いには、「黒船食堂」「黒船釣具店」が並んで営業している。
開業1930年(昭5)、すでに創業93年の歴史を持つ老舗だ。3代目の小林泰一(たいいち)さん(57)は「アジフライ定食(900円)が1番人気。あまり宣伝とかしないけど、最近はSNSに出すと“映えする”とかで若い女子が増えました」と笑い、「でも、昔からガテン系に好かれている店です」。
千葉・富浦(南房総市)で船の機関士をしていた祖父菊五郎さんが食堂を始め、祖母千代さんが名物アジフライをメニュー化した。2代目の父日吉さんが「海の前だから」と釣具店をスタートさせた。泰一さんは「黒船ですか。ウチはいつも通り店を開けるだけですね」と語り、「特に黒船定食とか作る気はないです。普通にしたいですね、普通に」と静かにつぶやいた。
<ゆかりの地を巡る特別クルーズ>
東京湾フェリーでは「黒船フェリー」となったしらはま丸で「黒船特別クルーズ」を計画している。25日(土)と26日(日)の両日、久里浜港を午前10時15分に出て戻ってくるツアー(1便定員500人)。久里浜沖、浦賀港、そしてペリーが最初に停泊した鴨居(かもい)沖、これより先に進むと江戸進出を達成できたと考えた旗山崎、江戸湾(現東京湾)を測量した際に「ペリーアイランド」と名付けた猿島など、ペリーに関連する地点をたどる3時間超の船旅だ。大人3000円、小学生1500円で「まだまだ余裕がある」(東京湾フェリー)そうだ。外装だけではなく、黒船フェリーのマスコット「キャプテン・ペルリ」に関連した「何か」も船内に設置されているという。
<隣町浦賀も「萬屋」>
久里浜の隣町・浦賀も“令和の黒船”で盛り上がっている。浦賀港を真ん中にして東浦賀、西浦賀に陸地が分かれ、当時は西地区に回船問屋が軒を連ねていて、幕末から明治期に栄えた。北海道から九州まで広域に塩や酒などを取り扱っていた西浦賀の通称「萬清」こと萬屋の宮井家には、今もペリーから贈られた鉄製鍋が家宝として残る。12代目当主で郷土史研究家の宮井新一さん(78)は「4代目のときに黒船に襲来された。停泊したペリー提督から長旅もあって尽きた飲料水を求められた。そのお礼で大きな鍋をもらったんです」と話した。また、6代目のときに提督の孫の世話をして水牛の角をもらったという。宮井さんは「黒船再来で浦賀も活気づくといい」と笑顔だった。

