東日本大震災からまもなく13年。震災直後、宮城県気仙沼市の離島・大島と本土を結んだ唯一の交通手段だった小型船「ひまわり」を震災遺構として残そうと、菅原進船長(81)ら関係者が活動を続けている。一方、震災の記憶も薄れ、手詰まり状態に陥りそうな中、手作りの「オカリナ」でボランティア活動をしている津田幸男さん(74)が支援に立ち上がった。「忘れない3・11」と題し、震災と向き合った人びとの現在、過去、未来をリポートする。

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津田さんはもともと京都市の小学校教師で在職中からオカリナを通じての教育実践に努めていた。自身も阪神・淡路大震災で被災しており、東北の復興を支援しようと、13年に単身で移り住んだ。

オカリナ活動の関係者を通じて「臨時船『ひまわり』を保存する会」の存在を知ったのは昨年。同会は17年12月に立ち上がったが、金銭難などから「保存館」設立のメドが立たず、事実上の休眠状態が続いている。津田さんは「『ひまわり』の活動は小6の道徳副読本にもなっている。多くの人に存在を知ってもらうためにも、このまま放っておいてはいけない」と支援を決意した。

大島は22年に約30万人の観光客が訪れている。ここに目を付けた。「お土産の品として海産物はあるが、子供向けの品物はない。そこで、子供向けのお土産やプレゼントとして『はと笛』を思い付いた」という。「はと笛」ならばオカリナよりも手に取りやすい。すべて津田さんの手作りで、既に「ひまわり」を模した試作品も作った。保存会では「子どもでも買いやすい値段」として1個500円での販売を検討している。

「ひまわり」は20年8月に、大島の高台にある菅原さんの自宅敷地内に移設された。それから約3年半がたつが、今も船を囲う屋根や壁がない状態で風雨にさらされ、最近になって客室の一部で雨漏りが見つかった。何らかの対策が急務だ。保存館の建設には少なくとも数百万円の費用が見込まれる。保存会では「500円は小さな炎かもしれないけど、支援の灯を絶やさないでともし続けることが大切。これを大きな明かりにしたい」と期待を込めている。

“震災の語り部”として講演活動などを行ってきた菅原さんは「震災の記憶を風化させないためにも『ひまわり』の保存は絶対に必要。未来を担う子どもたちに津波の怖さを伝えないといけない」と訴え続けている。【松本久】

◆「臨時船『ひまわり』を保存する会」 17年12月に発足。会長は医師で作家の鎌田實さん、名誉顧問は歌手さだまさし。公式サイトはhttp://himawarigo.com/hozon/