国民民主党の榛葉賀津也幹事長は6日の定例会見で、初当選同期で、今月2日に心不全のため66歳で亡くなった元参院議員の大塚耕平さんへの思いを問われ、「もう1人の自分がいなくなった感じだね」と、沈痛な表情で悼んだ。
榛葉氏と大塚さんは、2001年参院選にともに民主党(当時)から立候補し、初当選した。榛葉氏は「(自民党の)小泉(純一郎)旋風が吹き荒れる中で初当選した同期。あの時(の初当選組に)は大橋巨泉さんや、自民党の大仁田厚さんもいた。民主党の草創期で、京都市長になった松井孝治さんや、文部科学分野で頑張った鈴木寛さんもいた」と同期の顔ぶれを振り返り、「私は最年少で34歳。同期には優秀な仲間がいっぱいいたが、仲間が落選や引退をして最後に残った2人が、最も優秀だった大塚耕平と、最も出来の悪かった榛葉賀津也だった」と語った。
民主党、民進党、旧国民民主党と行動をともにし、現在の国民民主党の結党メンバー15人の1人でもある「盟友」の大塚さんが、2024年の名古屋市長選への立候補を決めた際のことにも触れ、「大塚さんが国会を去る決断をして、ふるさと名古屋のために頑張りたいと決めた夜も、夜通し飲み明かした。(落選という)このような結果となって、古川(元久・代表代行)さんとも話して、衆議院でもう1回勝負を、と言っていた矢先だった」と述べ、「心からご冥福をお祈りすると同時に、言葉がありません。本当に残念です」と、肩を落とした。
理論派の論客として、党派を超えて一目置かれる存在だった大塚さんを、「知の巨匠だった。『歩くシンクタンク』と呼ばれていた。私は『歩く生だる』と言われたけれど」と評し、「本当に、惜しい人を亡くした」と述べた。
大塚さんが国民民主党に与えた影響について問われると、「まさに魂をぶち込んでくれた」と述べ、「正直で偏らず、現実的な政治。(その理念は)大塚耕平の生きざまそのものだった」とした上で、「うそ偽りのない男でした。ああいう男になりたいと思っていた」と口にした。「大塚さんの行きつけの小料理屋があるが、そのお店は私が引き継ぎます」とも語った。
大塚さんは今月2日、心不全のため亡くなった。4日、事務所が公表した。2月の衆院選では、国民民主党愛知県連が愛知6区への擁立を検討したが、大塚氏側が体調不良を理由に辞退を申し入れていた。

