東日本大震災の直後、孤立した宮城県気仙沼市の離島・大島で唯一の島民の“足”として奮闘した小型船「ひまわり」の菅原進船長(25年7月16日に82歳で死去)の死から1年がたち、有志らによる「しのぶ会」が26日、大島公民館で行われた。
会場には菅原船長の肖像画やパネル、全長約1メートルのひまわりの模型(縮尺15分の1)などが飾られた。地元の学童クラブ「大島オカリナの会」や「平泉オカリナの会」「平泉すぎのこクラブ」の紙芝居や歌の披露で在りし日の姿をしのび、活躍を曲にした歌手枝璃貴子さんが自作曲「ひまわりさん」を歌った。
主催は「臨時船『ひまわり』を保存する会」。菅原船長の「震災の記憶を風化させないためにも、未来を担う子供たちに津波の怖さを伝え続けるためにも『ひまわり』の保存が必要」との強い思いから17年12月に設立された。20年8月、島内にある菅原船長の自宅敷地内に船を移設。だが、約6年がたった現在、展示場所には屋根や壁がないため、風雨にさらされて客室には何度か雨漏りがしている。今年5月には地元漁師OBらで作る「大島海友会」の5人がペンキ塗りなどの補修をボランティアで行った。
「保存する会」会長を務める医師で作家の鎌田實さん(78)はしのぶ会にメッセージを寄せた。「菅原進船長をしのぶ会にご出席の皆さま、本当にありがとうございます」と感謝の言葉をつづって「出席してお祝いの言葉を述べるところではございますが、所用でどうしても出席することができません」と説明。その後に「私は、東日本大震災時、『ひまわり』に乗って大島に渡りました。その時から船長と私のつながりができました。本当にすてきな船長でした。いつまでも忘れられない船長です。本日は、すてきな『しのぶ会』になるといいですね。菅原進船長は幸せな人です。本当によくがんばったから」と思いを語った。
菅原船長の三女で会の役員を務める美希恵さん(49)は「今日こうして『しのぶ会』を開くことができたのは、多くの皆さまのご理解とご協力のおかげです。家族を代表して心より感謝申し上げます」と関係者に感謝。そして「父は『ひまわり』を後世に語り継ぎ、震災の記憶や助け合いの大切さを残してほしいと願っていました。私自身も、父が残した思いと『ひまわり』を大切に守りながら、地域の皆さまや関係する方々と共に、これから先どのような形で受け継いでいくことが良いのか考えていきたいと思っています」と話している。
震災時、多くの船が津波で壊滅状態の中で「ひまわり」だけが沖に向かって無事だった。震災から約8カ月、菅原船長が島民や荷物を無償で運び続けたことを英BBCや米CNNなどの海外メディアが“被災地の英雄”として報道し、国内でも小6の道徳副読本に採用された。菅原船長は生前、船の見学に訪れた人たちに震災当時の様子を熱心に伝える「語り部」をライフワークにしていた。
死者・不明者2万2000人超の被害をもたらした震災から15年がすぎた。時は経過しても、災害の教訓を風化させず、“生き証人”としての小型船を震災遺構として残そうと踏ん張っている人たちがいる。【松本久】

