天才ジョッキーがついにG1・100勝に到達した。武豊騎手(44)は2番人気トーセンラーに騎乗、後方から最速の上がり33秒3の末脚を引き出して鮮やかに差し切り、JRA、地方、海外の通算G1勝利を3桁の大台に乗せた。1988年(昭63)菊花賞(スーパークリーク)の初G1から足掛け26年、昨年のサダムパテックに続く連覇で打ち立てた金字塔は、だれも破れない不滅の記録となる。

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今までも、そしてこれからもこの数字を破るジョッキーは現れないだろう。トーセンラーを見事にエスコートした武豊が、先頭でゴール板を駆け抜けた。G1通算100勝目。競馬史にまた大記録を刻んだ。

勝負勘がさえわたった。長めの距離を専門にしてきた相棒にとってマイルは初。前走から800メートルも短い未知の領域で、流れに乗せた。後方で脚をため、3~4コーナーから進出。直線で一気に爆発させた。上がり最速33秒3の豪脚で、まとめて差し切った。「すごい反応。直線半ばで勝てると確信した。こんな脚を使ったのは初めて。乗ってて驚くほどの末脚だった」。100勝よりも、終わったばかりのレースに興奮した。

「ジョッキーになってからずっと積み重ねてきた数字。うれしいね」。デビュー2年目の88年菊花賞で初めてG1を手にしてから、毎年欠かさず積み上げ四半世紀。同じ京都競馬場で大記録に到達した。思い出深いディープインパクトの産駒。今年のダービーも同産駒のキズナで制し、99勝と王手をかけてから半年たっていた。「今日の直線、(ディープに)似てなかった? フォームとか。それを出したかったんや」とニヤリ。最強の7冠馬をほうふつさせた。

JRAで68勝、地方の統一G1で25勝、海外で7勝。今年重賞11勝は内田騎手と並ぶ首位だ。苦しみを乗り越えて今がある。10年の毎日杯で落馬して左鎖骨遠位端骨折、腰椎(つい)横突起骨折。懸命なリハビリも、なかなか改善せず「本当に治るのか…。治らないんじゃないか」と何度も不安がよぎった。11年はJRA・G1未勝利。常に争っていたリーディングの座も、遠ざかった。ようやくトンネルから抜け出したのが、昨年のマイルCS。「ダービーを勝った時よりもメールが来た」と笑い、「ちょっと気持ちが楽になった」と本音を漏らしていた。

不滅の記録も通過点。「凱旋門賞を早く勝ちたい」と日本の悲願に思いをはせた。天才はこれからも「前人未到」「史上初」に挑み続ける。【平本果那】

◆トーセンラー▽父 ディープインパクト▽母 プリンセスオリビア(リシウス)▽牡5▽馬主 島川隆哉▽調教師 藤原英昭(栗東)▽生産者 社台ファーム(北海道千歳市)▽戦績 20戦4勝▽総収得賞金 4億561万円▽主な勝ち鞍 11年きさらぎ賞(G3)、13年京都記念(G2)▽馬名の由来 冠名+エジプト神話の太陽神

(2013年11月18日付 日刊スポーツ紙面より)※表記は当時