JRAの元騎手、坂井千明氏が病気のため今年に入って死去していたことが10日、分かった。72歳だった。クセ馬を巧みに乗りこなすことで、関係者から騎乗技術を高く評価される騎手だった。美浦トレセンをはじめ、各競馬場で何度も取材した明神理浩記者が悼む。

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言ったべ…。坂井千明さんの得意フレーズでした。坂井さんは馬を調教で仕上げてレースで結果を出す玄人でした。全休明けから、調教で騎乗した馬を最後の1ハロンだけ伸ばします。馬に頑張りどころを教えていたのです。レース前日の調教でも直線のラスト1ハロンは必ず伸ばします。

当時(今から30年近く前です)、馬の状態のよし悪しは、調教に乗った後に聞きにこいと言われていました。福島、新潟開催になると、関係者も記者も呉越同舟で滞在。調教終了後はここぞとばかりに聞きにいったものです。

いい、悪いをはっきりと話してくれました。レースでは人気馬よりも人気薄に乗ることの方が多く、よく穴馬券を出していました。上位に入ったレース後に話を聞きに行くと、必ずといっていいほど出てきたのが「言ったべ」でした。(聞いてないよ~と思ったこともありましたが)。それだけ、聞きにきた記者には分け隔てなく話していたということです。

ただ、素質の高い馬ほど求めるものも高くなるので辛口コメントが多かったです。94年のヤシマソブリンはその典型でした。ダービー3着の後に臨んだ福島のラジオたんぱ賞。1着でしたが、週中も、レース後もコメントは厳しめだったと記憶しています。

そんな坂井さんが、ヤシマソブリンを高く評価したのが秋初戦、10月9日の福島民報杯。早めに動く競馬で古馬を一蹴し、「この競馬ができれば菊花賞で(ナリタ)ブライアンに勝てるかも」と口にしたのです。記者自身、ここまで強気な坂井さんを見るのは初めてでした。

坂井さんは菊花賞で有言実行します。早めの競馬で直線に入って、内回りコースとの合流地点あたりで先頭に立ったのです。ただ、その直後にもうナリタブライアンがきていました。結果的に7馬身差をつけられましたが、2着は確保。ヤシマソブリンの走りはあのとき、福島で坂井さんが口にした思いに応えるものでした。ナリタブライアンがそれをしのぐほど強かっただけです。

見た感じはとっつきにくく、酒豪のようにも見える坂井さんですが、実はアルコールがまったくダメ。福島競馬滞在時、飲み屋さんには坂井さんの牛乳がボトルキープされていたそうです。

合掌。

【中央競馬担当=明神理浩】